僕は少し苛々していました。

タバコをふかしては、

消える前にまた次のタバコを取り出し、

延々と吸い続けていました。




満足のいく答えは、

たぶん僕のあたまでは思いつくことはできないのでしょう。


そしてそれは、たぶん答えなんてなくてもいいんだと思います。


何かに答えを求めて、それはなぜ?って、

数回突き詰めを行うのは悪い癖です。


論理的に導かれた答えはそれは立派なものでしょう。


でも、明快に答えがでない問題に向き合う機会が

多くなった今、本能的にこれだって思えることを、

尊重するようなこともたびたびあるんじゃないかって、

考えるようになりました。


直観力のない僕が言うのも変ですが、

人ってみんな、大事な局面の対処の仕方は、

実はわかっているんだけど、それまでの経験や打算が

働いて、霧の中にかすめてしまうものなんだと思います。


目や耳や肌で感じたことを瞬時に判断して、

次の行動に移してゆけば、

ほんとうはそれが一番正しいやり方のような気がします。


間違いを犯したって、

その次似たような間違いを犯さなければいいのですから。




そこまで自分で結論付けて、やっと灰皿の前を離れました。


直感で僕の出した答えは、


”守るべきものを持つ覚悟なら、

             命ある限り守り続ける”


ってゆう、普通の人からしたら、

あたりまえのものでした。


僕が足踏みしていたのは、

僕自身の命の長さの問題です。


本格的な検査は入院してからになりますが、

僕を診断した医者は、神妙な面持ちで、


「家族の方はいらしゃいますか?できればご一緒に詳しい話をしたいのですが……」

と、カルテを見るのを止め、僕に向き直りました。


家族はいないのですが、と伝えると、

僕の病気について、かいつまんで話してくれました。


簡単に言うと、僕の両方の肺は重大な手術が必要なのだそうです。


前からダメになっていた左の肺は全摘出して、

ましな右の肺を蘇生措置を施すんだとか。


手術の成功の確率よりも僕が気になったのは、

術後、どれぐらい生きられるか、ということでした。


人それぞれの与件があるので一概には言えないそうです。

手術自体がうまくいかずに、すぐ亡くなることもあったり、

うまくいけば天寿をまっとうできるまでは生きられる人もいる。


検査や定期健診のために病院に来なければいけないのは

億劫でしたが、生まれてくるであろう命とともに歩む時間が

与えられるかも知れないことに、とても感謝しました。


でも、不安はあります。


もし、僕の命が思いのほか早く尽きてしまったら……


その考えを頭を振って振り払います。


それは考えたってしかたのないことです。


未来は等しく訪れます。

それを受け入れる準備をしておくほうが、

よっぽど大事です。










僕は、まだ10本以上入っているタバコの箱を

ゴミ箱に捨てました。


これからは、健康にだって少しは気をつけてみよう。


そう思えるのは、

これからの道に明るく陽の光が射しているからなのでしょうね。













ありがとう。