さすがに寒くなって、今の時期は喫煙所にいるのも震えてしまいます。
僕は、タバコをまた吸うようになっていました。

タバコの煙を眺めていると、ふと、電車の中で見かけた女の子のことを思い出しました。

父親に抱かれた女の子は、父親のフリースのジッパーを下ろしては上げて、
を繰り返していました。

女の子がジッパーを下げると、父親が、
「上げてー」
と頼みます。

「いいよー」と、女の子は言ってジッパーを上げてあげます。

しばらくすると女の子はまたジッパーを下げてしまいます。
すると父親がまた、
「上げてー」
「いいよー」

その繰り返しです。
そのやりとりがとても可愛らしく感じられて、僕は思い出し笑いをしていました。

「何にやにやしてんの?」
僕に声をかける女性がいます。

「こないだ電車で見た女の子のこと思い出してね」
「女の子?…って、女子高生とか?きもいんだけど」
「ち、違うよ、2、3歳の女の子だって」

僕はタバコの煙でむせてしまいました。

「いーよいーよ、嘘つかなくたって。図星なんでしょ?」
「違うっていってるのに…」

僕はため息をついて、タバコをもみ消しました。
喫煙所を出ようとすると、女性が呼びとめます。

「ねぇ、アメリカ行くってほんとなの?」

僕はなぜ彼女が僕のアメリカ行きを知っているのか怪訝に思いましたが、
僕が前に話をしたことを思い出しました。

「うん、来年の1月には行くよ」
「そうなんだ…準備は?」
「だいたい終わってる。家もひきはらったし。あとは飛行機に乗るだけってかんじ」

一瞬伏し目がちに彼女はなりましたが、僕の目を見つめて、かばんから小さな包みを
取り出しました。

「はい」
「え?なに」
「餞別よ。それと、クリスマスと誕生日プレゼントも兼ねて」
「一気にまとめてくれるんだね、ありがと。あけていい?」
「どーぞ」

クリスマスっぽい赤い包装紙をなるべく丁寧にあけると、
中にはボールペンが入っていました。

「ありがとう。選んでくれたの?」
「そうよ。何か不満でも?」
「いや、別に…」

僕がボールペンと彼女を交互に見やっていると、
彼女は右手を差し出してきました。
僕は彼女の手を握って、握手をしました。
寒気で冷たくなった手でした。

「冷たいね。だいじょーぶ?」と僕。
「少し風邪ぎみよ。はな水がとまんないの」
「あったかくして寝ないとだめじゃん」
「そーね。そーする」

彼女は着ていた茶色のロングタイプの羽毛のコートの前を閉め、
新しいタバコに火をつけました。

「タバコの量増えたんじゃない?」
「うん。健康的な生活に戻ったからね。健康だとタバコ増えるみたい」
「よくないね」
「値段もあがるだろうし。その前にやめよーかな」
「それができれば一番いいんだけど…」

僕も禁煙してまた吸い出した経験があるので、アドバイスできることは
何もありませんでした。

「どれぐらいで帰ってこれるの?」と、彼女は言いました。
「…うーん、2年は最低でも帰ってこれないかな」
「ずっと行きっぱなし?休暇で帰ってこないの?」
「だいぶ離れてるからねぇ…長期連休がとれたら帰ってくるかも、だけど」
「えぇ、ずっと会えないんだ。それはイヤだな。…会いにいってもいい?」
「いいけど、めっちゃ遠いよ?」
「それでもいいよ」

僕もタバコに火をつけます。

「…って、ゆーか、俺のことどー思ってんの?」と僕。
「どー思ってんの?ってどーゆー意味よ?」
「いや、好き…とかさ。何かあんじゃん」
「うん…好きだよ」

僕は意外でした。
彼女がメールで好き、とたまに書いてくることはありましたが、
僕の目の前で言ったのは初めてでした。

「ほんとに?」
「ほんとにって、どーゆーつもりで言ってんの?ほんとに決まってんじゃない」
「そ、そう。ありがとう、うれしいよ」
「あ、心がぜんぜんこもってないんだけど」
「そ、そんなことないよ…」

僕はまた、煙でむせてしまいました。

僕は彼女の言葉のすべてを信じることができていないのです。
彼女の目を見てその心の奥底の真実を見定めようとしましたが、
大きく美しい瞳は微笑みをたたえていて、容易にそれをさせてはくれません。

「信じて…いいのかな?」
「いいよ」

その問いかけにも隙を見せない彼女。
僕は、彼女の真意をさぐるのをあきらめました。
その代わり、彼女がたとえ嘘をついていたとしても、
そのすべてを真実として受け入れ、彼女との未来を考えよう。
そう自分に言い聞かせるようにしました。

もし彼女が僕を愛さなくても、僕は彼女を愛していればそれでいい。
彼女がほかの男を愛し、僕の前からいなくなっても、彼女が幸せならそれでいい。

そう思考し、心をコントロールすることでしか、
今の僕は前に進むことができないと考えていました。

「ボールペンありがと。大切にするね。2分おきに使わせてもらうよ」
「何それ?うける」

彼女の笑顔が、僕の心の暗いところを明るくしてくれるようでした。

『たまらなく嬉しくなるから、それもまた僕にとって真実』

Mr.CHILDRENの歌詞の一節がふと思い出されます。



どうせ明日とも知れぬ命をなんとかぎりぎりいっぱいで生きることを許された身なのです。
どんな未来が待っていたとしても、それを受け入れなければ、
生きたくても生きれなかった人たちにたいして申し訳ない、と思いました。


「好きだよ」
「なに?急にあらたまって」
僕は不意に彼女のタバコをとりあげてキスしました。
彼女は可愛い瞳を大きく見開きました。

喫煙所に居合わせた人たちは少し驚いていたようですが、
僕は気にしませんでした。





彼女への気持ちは、誰にも邪魔なんかさせない、とても強いものでしたから。