気がついたら、いつの間にか5月になっていた。去年の今頃は、現上皇から今上天皇への譲位が行われ、平成から令和へと元号が変わるってことで、散々に盛り上がっていたのだが、なんだか、はるか遠い昔か、あるいは本当にあったことなのか定かではないほど、印象が薄い。世間的にも、自粛ムードってやつの影響でほとんど話題にもならない。無理矢理令和スタート一周年ってことで商業イベントでもあれば、「ただのこじつけじゃねーか、そんなもん」ってツッコミの一つも入れられるのだが、どんなこじつけでも良いからカラ元気の一つも張りあげられるような場が欲しい、ってのが世論のマジョリティーだろう。本来なら、GWという日本国中揃っての大規模な無駄遣いの期間だったというのに、今年は集合も自粛、外出も自粛だから、普段なら緩むであろう財布の紐が緩まない。まあ、財布を取り出す機会すらないのだから、緩めようがないのだが…。とはいえ、FireHDなんぞをいじくってると、なんとなく欲しいものは出てきてしまうもので、安いスマートウォッチと、スピンバイク用のサドルカバー(ちょっと長い時間漕ぐと、股間が痛いわ、お袋さんが痺れるわするので、何か対策はないかと思って…)、密閉式のヘッドフォン(集中するときに使用って言い訳つけて…)などを衝動買いしてしまった。結局そこそこカネは遣ってる(苦笑)。
FireHDといえば、久しぶりに本のライブラリーを確認してみたら、膨大な量の未読本が露呈してしまった。もともと買ったは良いが読まない、って本のストックはたくさんあり、物体として拙宅内のスペースをかなり貪ってくれていたのだが、PDF化(いわゆる自炊)ツールを買って電子化したり、二度は読む価値がないと判断した本はかなり売り払った。とはいえ、まだ、大型の本棚は二台あってぎっしりなままだ。その上、物理的には全くスペースをくわないものの、心理と家計に多大なる負の影響を及ぼす、この積ん読本の山はなんとかしなくてはならない。というわけで、携帯用ゲームマシンと化していたFireHDを今朝一時間だけは電子書籍として使用した。読む本はいっぱいあり、読んだ本について書く必要も同じ分だけある。読んだ本の読後感を文章化するのは、文章修行と知識のストックを増やすため、すなわち、文筆家として活動するためのトレーニングなのだが、今のままでは、トレーニングだけは積んだものの、結局デビューできないまま死亡なんてことになりかねない。会社の仕事だけして死ぬのも嫌だが、自らが志した道を歩むことなく死ぬのも嫌だ。
こんな世の中だが、20日ほど前に姪っ子が誕生した。生まれた当初は、はっきりしていなかったが、だんだんと独自の表情が現れてきたり、母親の呼びかけに反応して笑顔を見せたりするようになってきた。先日など、ミルクをお腹一杯飲んで、いかにも満足しているって様子の写真が送られてきて、「これこそ天使の微笑みだよなぁ」などと叔父バカ全開でヤニ下がってしまった。早く実際に逢って、動いているところを直に見てみたい。実物はさぞかし可愛いんだろうなぁと想像することしかできない。
東京でパチンコ屋がようやく営業自粛に応じたと思ったら、千葉の松戸にはまだ、営業自粛要請に応じていない店舗があって、しかもそこは近郊から押し寄せた客で満杯だそうだ。今、そこの店にいる連中は立派なギャンブル依存症として強制入院させるべきだ。このご時世で、パチンコ屋は利益確保に必死だろうから、出玉がいい訳はない。いわゆる三密の状態が出来して、自分自身も周りの人間にも新型ウイルスを感染させる可能性がある。こうしたマイナス要素を考え合わせてもパチンコに行くなんぞは立派な病気である。コロナ対策は焦眉の急だが、こういう連中も中長期的にみれば重大な問題を抱えているのだから、コロナを横目に見ながら、ケアすることを考えておくべきだろう。