支離鬱々日記42 | 渡る世間にノリツッコミ リターンズ(兼 続日々是鬱々)

渡る世間にノリツッコミ リターンズ(兼 続日々是鬱々)

フリーライター江良与一のブログです。主にニュースへの突っ込み、取材のこぼれ話、ラグビー、日常の愚痴を気の向くまま、筆の向くまま書き殴ります。

家ごもりだけをしていたGWも本日で終わり。今年のGWでしたことといえば、二度ほどのスーパーでの買い出しと、衣替え、それに伴う自室の整理整頓くらいで、あとは、近所の貸しDVD屋で借りてきたDVDを観まくっていたことと、女房殿がすっかりハマっていた『仁』を横目でチラ見するつもりが、私もすっかりハマってしまったことくらいが主なトピックスだ。それにしても『仁』の最後はいかにも尻切れとんぼって感じで少々残念だった。もう一度江戸時代に戻って、もう一波乱あって欲しかった、というのが率直な感想。原作のコミックではまた違う結末らしいので、是非ともそっちを読んでみたい。

 

衣替えと、それに伴う、ちょっとした部屋の整理の過程で出てきたのが、死蔵品の数々。私に関しては、まずは買って以降一度も袖を通していない海外ラグビーチームのレプリカジャージが多数。今年に限っては在宅勤務が最低あと1ヶ月近くはあるので、毎日取っ替え引っ替え着ることにする。もう一つは、ミニコンポ用のラジオアンテナ(AM,FM両方)。元々、CDとiPodの再生を主な目的として買い求めたものだったので、あまりラジオについては期待はしていなかったのだが、それでも山下達郎氏の『サンデーソングブック』や福山雅治氏の『福のラジオ』、『あ、安部礼司』などの定番聴取番組はあるので、それだけはなんとかコンポで聴きたいとは思っていた(いままではリビングにあるAVアンプのチューナー機能で聴いていた)のだが、ノイズが酷くてお手上げ状態だった。で、片付けの最中にふと付属のアンテナ類を見つけたので、装着。つけてびっくり、ノイズが全くなくなり、非常に明瞭な聴き心地になった。モノの性能は最大限に活用すべきである、というのを改めて実感した。

 

そんな流れの中で、発見されたのが、女房殿が、数年前に買い求めた、スマートウォッチ(というよりは活動量計測機)。買ったは良いが、全然動かないし、中国メーカーの製品でマニュアルが全て中国語で書かれていたため、放置されていたものだ。3千円程度の安物だったため、「まあ、しゃーねーか」で終わっていたのだが、私が衝動買いした活動量計測機(アメリカの会社だが、生産は中国)の使い方を鑑みて、同じ方法を試せば使えるのではないかと試してみたら見事に使えた。別に特別なお話ではない。使う前に充電しただけのことだ(笑)。時計、それもデジタルのモノは電池が入っていて、スイッチを押せばすぐ使える、という固定観念に縛られていた上、マニュアルが全て中国語だったために、その観念を覆す術がなかったのだ。で、充電したあとは、スマホのアプリ(こっちはちゃんと日本語。ただし時々おかしな言葉遣いがある…)と連動させてきちんと期待したデータを出し続けてくれている。先ほどの段落の結論と一緒だが、とにかくモノについてはその性能を最大限に引き出す努力をしないと買った価値がない。

 

「Stay Home」が声高に叫ばれる中、暇を持て余した皆さんが、メディアに登場する人物たちのアラ探しに熱中している。

 

典型的なのはナインティナイン岡村隆史氏の「今をしのげば、風俗にランクの高いおねーちゃんたちが仕事を求めてくるから、なんとか我慢して…」という趣旨の発言だ。発言そのものはある程度の真実を含んではいるが、確かにあまりお上品な発言ではないし、小ぎれいな建前だけが先行する現代においては、叩かれやすい内容だ。で、その世間の良識ってやつの代表として、相方である矢部浩之氏が件の『オールナイトニッポン』に登場し、一時間以上も「公開説教」したことも話題となった。まあ、よくよく考えて、上手く立ち回った謝罪の仕方ではある。私はここでは倫理的な問題ではないところで岡村氏の批判をしたい。芸人は、社会の常識ってやつに楯突いてナンボの商売であり、その意味で、岡村氏の発言そのものは全然批判されるものではない。現実のお話として、普段は「いいオンナ」として通っている皆様の中にもコロナ禍で収入を絶たれてやむなく風俗で働くような人は出てくるだろう。ただし、今の建前が幅を効かしているという土壌の上で、なおかつ世間一般の神経がささくれだっているご時世で言うべき言葉ではなかったのだ。ビートたけし氏が「ニュースキャスター」で「こんな話はバブル崩壊の頃には散々あった話で、バブルの頃は月に百万使ったってなびかなかったオンナが、バブル崩壊して、金がなくなった途端に1万でころっと落ちたってネタで散々岡村が喋ってたんだ」という趣旨の発言をしていた。まさにその時はタイムリーな「笑い」だったし、バブルに浮かれていたおねーちゃん達、ひいては世間一般に対して大いに皮肉のきいたネタだったのだ。今の苦しい状態は、バブルに浮かされているわけでもなければ、遊び狂った結果として追い込まれたものではない。つまり、感染に関する責任は、知らずに遊び呆けて、不特定多数の人々に感染させてしまったような場合を除けば、誰にも問えない問題なのだ。そうした世間の環境や空気を感じとり、何がダメで、何が良いかを感じ取る、「お笑い芸人としての技術」の欠如が今回の騒動を招いたのだ。そういう意味でお笑い芸人としての矢部氏が説教すべきは、一般人としての道徳の欠如ではなく、感覚の鈍化に対してであったと思う。まあ、燃えたぎっている世間の怒りをある程度抑える効果は見られた説教ではあったようだが。岡村氏は、今回のことで必要以上に萎縮して欲しくない。世間の矛盾や問題点を提起して笑いに変えるのはお笑い芸人の使命であり、その笑いを反感に変えないさじ加減こそが、その芸人の才能であるから、その才能をより磨いていっていただきたいものだ。