支離鬱々日記38 | 渡る世間にノリツッコミ リターンズ(兼 続日々是鬱々)

渡る世間にノリツッコミ リターンズ(兼 続日々是鬱々)

フリーライター江良与一のブログです。主にニュースへの突っ込み、取材のこぼれ話、ラグビー、日常の愚痴を気の向くまま、筆の向くまま書き殴ります。

早いもので、在宅勤務という名の「幽閉生活」はすでに1カ月続いている。まだまだ感染者の拡大は止まる所を知らないようだし、オリンピックを始め、各種のイベントは中止になったりで、この幽閉生活もいつまで続くのか見当がつかない。

 

毎日会社に行かなくて済むのは楽チンではあるのだが、自分でも不思議なことに、会社にいけない状態に対して少々焦りが出てきてしまった。以前休職したときには全くそんなこと感じなかったというのに。一応今の所、精神状態は「正常」であることの証左なのだろう(笑)。

 

さて、先日、某大手通販会社にある品物を頼んだ。使う日が決まっていたので、日にちを指定して届けてもらうことにしたのだが、到着予定日、待てど暮らせどモノが届かない。郵便受けに入っているかと思って何度かのぞいてみたが、やはりカラのまま。そのうちに「配達完了」というメールが届いたので、それを開封してみると、「お宅のドア脇に置き配しました」という文面とともに、どこかの家のドアの前に置かれたモノの写真が添付してあった。写真を見ると明らかに当家のドア前とは違う風景が写っている。連絡をくれて、写真まで送ってくるのはいいが、違う家に持ってっちゃ意味がねーだろ!!しかもその旨クレーム対応窓口に連絡したら、連絡したのが夜半過ぎだったためか、配送は最短でも連絡日より二日後になるという。使用する予定だった日を過ぎてしまっているのだ。間違った場所に届けたのは、そちらの責任なのだから、翌日に届けるべきではないか、と言ってはみたが、クレーム係の権限ではどうしようもないことなのだろう。係の方はすまなそうに謝ってはくれたが、肝心のモノが欲しいときに届かないのでは意味がない。なお、モノは再手配扱いとなり、その分の料金は当然ながら無料だった。

 

で、二日後、相変わらず何の反応もないので、郵便受けを確認しようとドアを開けたところ、いつの間にかモノが来ていた。それも、二日前に届く予定のものとダブりで来ていたのだ。これには呆れてしまった。まず、配送に不手際があったことを一言詫びるべきではないか?それにそもそもドアの前に置き配して良いという指示を出した覚えもない。二つも同じモノを送ってこられても場所ふさぎになるばかりで意味がない。流石に頭にきて、もう一度クレーム係にチャットでクレームを入れたのだが、物腰は丁寧ながら、全くこちらの怒りに対して真摯に向き合うという姿勢が見られなかった。私としては、手違いの具体的な原因の報告と、配送の担当者からの直接の謝罪が欲しかったのだが、「ご説はごもっとも」という空虚な言葉が踊るばかりで、こちらの要求については結局何も応じてくれなかったのである。唯一、ダブり分は返品不要という言葉が帰ってきたことだけが収穫だった。返品するんだって手間がかかる。こんなご時世で、余計な外出は避けたかったので、まあそれは良かったのだが、「お客様のご指摘は今後の品質の向上のために参考にさせていただきます」って言われても、こっちが被った迷惑やら、そのフォローにかかった手間については全く斟酌なし。この業者には今後あまりモノを発注したくないな、と思わざるを得なかった。今後は、なるべく他の業者を選ぶようにするし、もし仕方なく発注するときは「起き配」だけは絶対に指定しないことにする。

 

志村けんさんがお亡くなりになってしまった。あっちこっちでいろんな人がいろんな言葉で追悼の意を表しているが、実際にこれだけ老若男女誰からも愛された人はいないと思う。エロかったり、グロだったりはしたが、特定の人や団体を傷つけたり貶めたりするような笑いではなかったというのも大きな要因ではないだろうか。

 

私個人の思い出は何と言っても『東村山音頭』。いろんな場所で幾度となくモノマネをさせていただいた。そして、音楽を効果的に取り入れたギャグの数々。特に様々な場面でBGMを変えるとその場にいる人のキャラクターが変わってしまうというコントが一番のお気に入りだった。コントの解説ほど野暮なものはないのだが、あえて説明しておくと、例えば、床屋が客の顔剃をする際に、緊張で手がブルブル震えてしまって危なっかしいので、落ち着くために音楽をかけたいと客に要望して、了承を得る。そこでラジカセなりレコードプレーヤーなりのスイッチを入れると、いきなりディスコミュージックが流れて、床屋が踊りながらヒゲを剃ろうとする。客が「さっきよりあぶねーじゃねーか」と突っ込むと、「それじゃ別の曲で」ってことで再度スイッチオン。今度は『必殺仕事人』のテーマが流れて、床屋のおっさんはカミソリを口にくわえて仕事人として客の喉をかき切ろうとする…、こんな感じで、どんどんとキャラが変わっていくパターンのコントで散々笑わせてもらった。

 

そんな風に躍動して、お笑いという人間のもっとも高度な精神活動に携わってきた志村さんが、実のお兄さんの胸に、ほんの小さな骨壷に収められて抱かれているのを見たときに、とてつもない喪失感を感じた。どんなに強い印象を残した人でも、死んで焼かれてしまえば、あんな小さなモノになってしまうのか…。最期の最後まで、いろんな感情を掻き立ててくれる方である。心よりご冥福をお祈りいたします。