グレタ・トゥーンベリーさんと悟性 | ふうかん日記【諷諫日記】先憂後楽

おはようございます^^

 

今日は天気もいまいちです。

 

ここ数日スウェーデンの環境活動家?と言われている、グレタ・トゥーンベリーという女の子の話題が取り上げられています。

 

今朝も彼女に触発されたのかは分かりませんが、彼女以外の女の子が、世界のあちらこちらで、環境問題について発信をしていると報じていました。

 

地球温暖化やプラスチックゴミの投棄による汚染についての議論や対策が報じられて久しいですが、彼女たちの言葉は、外連(けれん)が無いぶん、私たち大人には胸に響くのかもしれません。

 

ゴミの投棄等は人それぞれの自制で抑止することはできる事と考えることは出来ますが、地球温暖化問題は、すべてが人為的は問題であると考えることには、少し懐疑的な面を含んでいると思っています。

 

ここでは、環境問題についてではなく、グレタさん達の世代が何を感じているのか?という事を考えてみたいと思います。

 

報道を見ていて感性という言葉が浮かんできました。

 

そして、そこから次に悟性(ごせい)という言葉が浮かびました。

 

ウィキペディアによれば感性という言葉よりも一般認識が低い言葉との記載があります。

 

英語やドイツ語の訳として禅の言葉である悟性(ごしょう)を用いたという事ですが、人間の活動について伝えられる言葉には、未だに曖昧さがあるという事が発見できます。

 

少女や少年といわれる10代の感性が、純粋であるが故に、我々大人の心に響くのか?と考えてみた時に、では、我々大人は不純なのか?という疑問も湧いてきます。

 

彼女たちの年代は大人たちの保護下にあるのが一般的です。

 

属性は家族と学校です。

 

大人の属性は生計を立てるための生産集団や家族、そして、歴史etc・・・

 

大人が不純であると仮定すれば、それは、生きるために「本音」を言えないという事があるのかもしれません。つまり、「建前」を守ることが生きることに繋がっている。

 

彼女たちの感性は自然に沸き起こる悟性であって、私たち大人の中にもある悟性であるといえると思います。

 

地球から発する自然を悟り得る感性に蓋をして生きているのが大人と仮定すると、そこに、グレタさんの不満があるという事になる。

 

トランプ大統領を腕組みして睨みつけている姿がありましたが、彼女の眼には無責任な大人と映ったのでしょう。

 

話は飛びますが、少子高齢化の問題が叫ばれていますが、未だに講じる対策が正鵠を射る(せいこくをいる)事が出来ません。

 

問題の本質が制度ではなく、それぞれの悟性にあるからだと考えます。

 

つまり、グレタさんの叫びは「建前」に向いている。

 

少子化の問題と環境問題との通底には同じ悟性があると思います。

 

世界中に自らの意思で生まれ出た人は誰一人いません。

 

人を創るという事に責任が生じる。

 

生まれた子供の因果を背負うのが責任という事になります。

 

建前と自然の間にある隔たりを感じる悟性がそれぞれの通底になるのかもしれません。

 

今朝はこの辺で・・。