姉.米原万里 その2 | ドリアン長野の読書三昧

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父、昶(いたる)が「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集者としてプラハに赴任することになった。当時9歳と6歳の万里とユリはソビエト学校に通うことになる。レッドパージの影響で昶の前任者が帰国の際、羽田空港で逮捕されていたので共産党の代表としての仕事には「大山二郎」という偽名を使った。
鳥取の名峰、大山からと次男だからだ。

万里が故郷について書いた文章がある。

「わたしは東京生まれですが、子どもの頃、夏休みには必ず父の生家のある鳥取県の智頭町で過ごしました。今もわたしの本籍は智頭町にあります。
小学校三年から中学二年までの五年間、父の赴任先だったチェコのプラハに一家で移り住みました。
日本を想う時に、真っ先に浮かぶ風景は、緑濃い杉に覆われた山々、川のせせらぎでした。そう、智頭町の風景なんですね。日本にいる頃は何とも想っていなかったのに、愛おしくてたまらなくなった。14歳の冬に帰国して真っ先に両親とともに智頭の祖父に会いに行きました。岡山で乗り換えた列車が徐々に山奥に入っていき、車窓から無数の杉の木が見えてきたときは、体の芯から震えが湧き起こってきて、止まらなくなった。それほど興奮しました。これが、わたしにとっての故郷なんだ、と思いました。」

万里が小さい頃、男の子と言い合いをした時のエピソード。

「うちのおとうちゃんはキョーサントーなんだから」

「?」

「地下に16年も潜ってたんだからね!」

「??」

いしいひさいちの「バイトくん」を思い出す。安下宿共斗会議のリーダーが「当局の目を逃れるためにわれわれはこれから地下に潜伏することにする」と宣言。続けて
「こう言うと諸君の中には実際に地下に潜ると勘違いする者もいると思うが」

スコップで地面を掘ろうとしている手を止め、リーダーを見て怪訝そうな顔するメンバーたち。