謝ることについて考えてみました。

 

悪い事をしたときに

 

「ごめんなさい」

 

を、言います。

 

では、その悪い事とは何が基準だろうか。

 

法律なのか、ルールなのか、モラルなのか・・・

 

「ごめんなさい」

 

と、無意識に言葉に出てしまうときは

 

相手が悲しんだ、相手が痛がった、相手が泣いた・・・など

 

そこには自分ではなく相手がいて

 

その相手の姿に対して

 

「ごめんなさい」

 

と、無意識に発しているように思いました。

 

謝ることは、

 

悪い事をしたという自分を認めるのでもなく、

 

相手につらい思い、悲しい思い、痛い思い・・・

 

をさせたときにすることなんあなと思いました。

 

だから、「悪い事」が事実であってもそうでなくても

 

目の前の相手が

 

悲しんで、苦しんで、辛い思いをしたのなら、

 

それは明らかな「事実」なので

 

そういう思いにさせてしまったってことに

 

「ごめんなさい」って言えればいいのではなかと

 

そう思ったのです。

 

 

 

おしまい。

 

 

 

 

協調性の本当の意味を

理解している人は意外と少なく、

一般的に

 

協調性がない=悪いこと

 

と、思われています。

 

「自分の子供も協調性がない」

「一人でいることが多い」

 

などと悩む必要は全くありません。

それは、協調性がないのではなくて

逆に、

周りにいる人の気持ちがよくわかり、

周りとの距離感や

周りの人とのかかわり方を

深く理解できてしまうからこそ

大勢の人といると

『ちょっと疲れてしまう』

のです。

 

一人でいたり、

群れたがらないのは

自己防衛本能

そう考えると、

健康な証拠

・・・と、とれませんか。

 

おかしくないし、

自分の居心地のいい場所を見つけられる感覚が優れている!

 

まさに、今よく世間で言われている

「自分らしく、自分のやりたいように、自分のやりたいことだけして生きる」

ではないですか。

 

 

 

 

お肉大好き人間は

たくさんいますね。

 

とても仲良くしていただいている友人から

おもしろい話を教えてもらいました。

 

人間がもともと肉食なら

肉を得る機能を持っているはず。

でも、人間の身体には

肉を得る機能はないでしょ。

 

たしかに。

 

道具を使って得ることはしますが

身体そのものにそういう機能はないな。

 

ネズミの方が走るの早いし、

牛や馬は体が大きくて

素でて立ち向かうと

勝てるわけないし。

 

お肉は嗜好品だなって

思いました。

 

嗜好品だから、

たまにはいいな~!

食事制限をするには、

まず、

脳を休ませる必要があります。

 

「寝る」

 

これが無理なら

ダイエットはあきらめた方がいいかもしれません。

 

むりくりダイエットできたとしても

必ず

リバウンドします。

 

脳を休ませる理由は、

脳が休まっていて体力も万全なら、

正しい判断ができるはずだからです。

 

・・・確かに寝不足の時って

食べてしまいますよね。

 

納得。

無理です。

 

「人を育てる」・・・のは私だ!

 

そう考えている時点で

 

無理です。

 

人は育てるのではなく、

 

勝手に育ってくるのです。

 

「育ちたい(成長したい)」と、思ったら。

 

 

そう思ったら、楽になりませんか。

 

 

で、何をしたらいいのか?

 

人のことはいいから、

 

まずは、自分が育ちたいと思うこと・・・・ではないですかね。

 

 

知らんけど。