【自分の尊さ 美しさ それを知りたくて来ているんだね】 〔ジェムリンガ便りのメルマガから〕 | インフィニティ ラブ♡

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みんなが本当の自分の魂の輝きを輝かせていこう♪聾唖・聴者・障害・老若・男女・国籍関係なく、色々と響きあっていこう~♪クリスタルボウルを中心に色んな楽器を使ってオーケストラを奏でたり、セッションをやっています♪

須佐巌さん が発行している〔ジェムリンガ便りのメルマガ〕が昨日届きました♪

とってもいい内容でしたので、転載します♪


〔ジェムリンガ便り〕のメルマガがほしい方は、須佐巌さん に連絡してくださいね~♪

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【自分の尊さ 美しさ それを知りたくて来ているんだね】


たった2年の間のことだが、
ジェムリンガのイベントに集まる人たちを回想してみた。

ユーザーが少なかったはじめの頃は、
特定の誰かに、女神のようなジェムリンガの象徴や手本になってほしいと
願いながら活動をしてきた。
普及しなかったらどうしようという焦りが、象徴の女神を創ろうとしたのかもしれない。

でもすぐに女神創りは止めにした。実際は必要でなかったからだ。

気がついてみると、想像もつかなかったくらいのマルチカラーになってきたのだ。
ものすごく大勢の女性がお互いに鏡となり、魅せあっている。
ユーザー個々が女神であり、主役となってきているのだ。

未体験の方に、どんな人が来てますかと聞かれてもカテゴリーが作れない。
全くノンジャンルであるし、将来も未知だ。

もちろん、ジェムリンガの極端な体感を急ぎすぎて、それが得られなかったり、
あるいは逆に、ジェムリンガの体感を神秘的な現象に置き換えて、
カルトな活動を立ち上げて離れてゆく人たちもいた。
だが迷い迷って通常のイベントに還ってこられる人もとても多い。

ぼくとしてはその想定外の展開が早すぎるのと、色彩がマルチすぎて、
まことしやかに悟った風な記事も書けない。

特に最近は、

性体験を含む人生体験の豊富なおっさん(すさげんも含む)がイベントに参加してくださるようになった。

なぜかその意義も見えてきたような気がする。

殊に年配の方を眺めてみると、それもあるのだがパートナーとの「性」ばかりではなく、
後継される「性」を模索したり、過去の「性」を反芻しているように見える。

イベントは酒場でなないので、性体験を自慢しに来ているのではなく、
振りまいてきた「男性特有の威力」が生み出した女性のトラウマのようなものを、
元に戻せないかと思案している時もあるような気がする。

少なくとも彼らは、女性がジェムリンガをホトに納めるということを、
興味でなく必要性の視点で見ている。

そのようなおっさんの参加と時期を同じくして、
参加される女性達も虹色になってきたのだ。

ジェムリンガのイベントで「性」について話し合うことには、
妄想とか、論理だけの理想がない。
「かもしれない」がない。

アダルト動画などのビジュアルで表現される演出や錯覚もない。
雑誌に載っているような、幼稚なセックスのハウツーもない。
産婦人科女医や著名セックス評論家が語るような、
個人体験に基づく狭い理想論や空論もない。

イベント参加者にインタビューしてみると、
男女とも、そのようなビジュアル的な世論で、うまくいっている人と比較をされて、
自分がそのように振る舞えないことでトラウマを自然構築している様子が解る。

またそのトラウマは、他人に開放?してもらったり、浄化?してもらうことでは
絶対に消えないことも判った。

それは自分自身の力で解決する潤いも力も奪われてしまうと同時に、
時間をおいてそのトラウマがもう一度牙をむいて襲いかかってきたときは、
多分その人は生きてはゆけないだろうから。

どうやら世の中全体がそのようなシステムで出来上がっているので、
これはたまったもんじゃない。

しかしジェムリンガを知る人は、ある意味でそのシステムから離れることができるようだ。
少なくとも自分自身のオリジナリティーを探ってゆこうという知識欲が芽生える。
少しずつ自分に興味が湧いてくる。

つまりその人のその時の真実だ。

だから、オンナはこうだと決めない。
オトコはこうだとも決めない。
個々の否定がない。

そして語り合うにつれて、「性」が人のくらしの原動力であることが実直に判る。
でもその方法も何もかも、全員がみんな全く違う! 
ものすごくオリジナルなのだ。

だからジェムリンガの集いは、
雑誌やハウツー本で賄える「理想論」を棒読みするセックスのイベントとも、
判った風に押し付けられるカウンセリングともずいぶん様子が違う。
その場に居て、何より呼吸がしやすい。

そのように、呼吸しやすい「個」を認めあえる、というか、
認めあわざるを得ない場であるから、
全員が過去に関する何らかの解答と、次の宿題を持って帰れるようだ。

みんながそれぞれのオリジナルの中で
自分のことを知ろうと、動きを始める。
自分のことを愛してみようと行動を開始する。

自分の尊さや美しさを知るための生き方をはじめる。

ジェムリンガのイベントにはマルチカラーの人々が集まるようになってきた。

おっさんがいる
宗教家がいる
ミュージシャンがいる
舞踏家がいる
画家がいる
書家がいる
文筆家がいる
女優も脚本家もそろっている
バリバリ稼いで、幸せいっぱいの風俗嬢がいる
キャバクラの辣腕ホステスがいる
主婦がいる
医者や看護士がいる
介護士さんもいる
事務員さんがいる
弁護士もなぜか来ている
プータロー女子がいる
経営者もことのほか多い
思春期の子供たちがいる
おばあちゃんもいる
おじいちゃんもいる
男性経験のない女性がいる
身体に障害を持つ人もいる
子宮を失った人もいる
愛しあっている夫婦がいる
セックスレスの夫婦がいる
不倫カップルもいる
同性愛者もいる

なにより、オンナはこうであれ!と
脅され、威嚇され、押しつぶされそうになって、
身体が動かなくなった女性が、勇気を出してきてくれる。

自分がどのように力を出してゆけば、愛する女性を護ることができるのかを
学ぶために男性が来る。

つまり、オンナであることに、オトコであることに
理屈も貴賎の違いも何もなく、
ただ素直にヒトであることを確認しあっている。

これでいい
ものすごくいい

人はみな とても美しい
それを見つけるために来てくれているんだ。

       2012年11月21日 
       須佐厳

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私は、友達に同性愛者の方がいて、バイセクシャルの方もいらっしゃいます。

不倫経験者の方もいらっしゃいます。

みんな、胸に抱えている悩み、想いを、私に話してくれました。


“想い”は、みんな同じだから。


私はそこに、分け隔てることはないと感じています。


みんな その胸の内に“愛”を秘めています。

その“愛”が真実であればあるほど 誰がそれを否定することができるのでしょうか?


人を愛することは とっても素敵なこと



人は真実の“愛”を学ぶために 学びとなる『闇』を 自分で選び

今、ここにいるだけのことだから。


『今』を精一杯生きて、“自分”というストーリーの主人公を生きているだけ。



その“愛”が 善き方向へ向かっていけば

すべての事が 善き方向に変わっていく と 私は感じています♪