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9年前の卵巣がんになった時のお話。
の続き
👨⚕️「お腹パンパンじゃん」
の先生に紹介してもらい、
数日後に同じ地域の総合病院へ
40代後半のスラッとしたイケメン先生👓
検査内容は若干記憶が曖昧ですが…
初診のその日に言われた事は
・卵巣は取ってみないと悪性か良性の区別がつかない
・この大きさだと手術は確定
・腫瘍マーカーは問題なし
・恐らくだけど悪性の可能性が高いと思ってる
といった内容でした
ガンといえば腫瘍マーカー
みたいなイメージだったので、
当時は本当に???ガン???
と感じた事を覚えています。
実家の母には(父は離婚済み)この日まで何も知らせておらず、
診察の後に電話をかけた事は覚えてますが、
それ以降は手術までの記憶が曖昧。。。
母曰く突然私から電話がきて、
「ごめん、あたしガンになったわ」
と言われたそうで、
最初は何を言っているのか分からなかったと
言っておりました
お腹パンパンが7月初旬、
手術が8月と記憶しているので、
初診から手術までは約一ヶ月は開いていた事になります。
手術の日は母と叔母が付き添いをしてくれて、
手術室へ。
手術は4時間程だったそうです。
手術は背中に麻酔を入れる硬膜外麻酔で、
これが本当に怖かった。。。
痛いとかそういう事ではなく、
見えない背中に針を刺すという恐怖
看護師さんにガッシリ抱きついて、
恐怖を少しでも和らげようとしていました
麻酔が効いたらあとは一瞬。
手術室で起こされ、
ぼやけた視界に映ったのは
銀色のカートに乗ったお肉の塊🍖
。。。。。。でかっ!!!!
。。。。。。鶏肉?!?!
元々親指サイズだった卵巣が、
縦30cm×横15cmまで大きくなっていて、
事前にCTで見てはいましたが、
想像以上に肉でした
(母が写真に残してくれてるのですが、何回見返しても鶏肉に見える)
先生👨⚕️「手術は無事終わったよー。これがとった卵巣ねー。病室に戻りましょー」
病室に戻ってからしばらくは
麻酔のせいかプチ錯乱状態になりましたが、
翌日にはスタスタ歩いてお見舞いに来てくれた友人達とお喋りしていました
退院をしてから出た診断は
病名:ディスジャーミノーマ(未分化胚細胞腫)
ステージ:1a
抗がん剤治療なし・経過観察のみ
悪性である事は覚悟していたのですが、
抗がん剤をしない事が意外すぎて拍子抜け
「ガン=抗がん剤=髪抜ける」
ここまでが1セットだと思ってました。
なので事前に母とも
「抗がん剤かぁ〜。まぁ人生で一度は経験してもいいかもねぇ〜」
なんていう軽い会話をしてました。
(1年後にめちゃくちゃしんどい経験をするとは露知らず、ノンキなもんです)
その後1年間で健診日は1ヶ月に1回、3ヶ月に1回と伸びていき、
毎回の血液検査と超音波検査は問題なし
順調に経過していました。
ある日、自分でシコリを見つけるまでは。。。
関係ないですが登山に行った時の写真
病気になってからは運動のためによく登っています
バセドウ病
適当に薬を飲んでたので治療が長引いた…
2005年・高3 投薬開始
2018年・30歳 投薬終了
年に1回経過観察中
卵巣がん
ディスジャーミノーマ(未分化胚細胞腫)
ステージ1a→再発後1c
2013年・26歳 右卵巣摘出
2014年・27歳 再発(腹部リンパと腹膜播種)BEP治療4クール
半年に1回超音波検査
年に1回CT検査
乳がん
石灰化
現在病理結果待ち
2023年・36歳 左乳房全摘、再建なし
BRCA遺伝子検査 陰性
今までの経過と現状
BEP療法について
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このブログは
現在治療中の乳がんと
経過観察から8年経過した卵巣がんについて
記憶を辿りながら書いていきます。
卵巣がんについては情報が古かったり
記憶が曖昧な点もありますので、
ご了承をお願い致します
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