本堂右に、修行大師様
南無大師遍照金剛m(_ _)m
四国第55番 南光坊の続きからです。
勤行の意義と歴史的背景等
(四国八十八ヶ所霊場会 先達経典より)
忘れてしまった、、過去の記憶に埋れてしまった悔いもある。
四国の長い長い道を歩いていて、深い池の水の奥底から、ポツポツと
浮かびあがってくる粟粒のように、脳の記憶の中から思い出すことが
ある、、、、、。
あぁ、、あんなことをした。
こんな思いだった。
その時わからなかったけど、相手はこんな辛い思いをしていたんだ、、
、、、、、等々。
まだまだ、反省、懺悔しきれていないことが、山のようにある。
(それは、僕が愚かだから、、)
新しい愚行もある。
御仏の、御慈悲に縋りつつ、自らを悔い改めて歩くしかない。
本堂の次は、大師堂を見たいと思います。
大東亜戦争、、太平洋戦争でも、空襲の中、燃えずに残った大師堂。
避難された民衆がいたお堂に、米軍の焼夷弾が降り注いだが、屋根が
焼夷弾から守ったという。
以前の姿も見てみたい
(↓2006年3月の写真)
焼夷弾から、大師様を信じて逃げのびた人々を守った大師堂
そして、、お大師様。
(↓2008年12月の写真)
2010年に来た時は、、修復工事中でした。
⇓修復工事をした、青鳳工房のページ
南光坊大師堂 保存修理工事 | 今治市の工務店~強固で美しい建物を一つでも多く後世に~【青鳳工房】今治市の工務店 (seihou-k.com)
⇓見学された方のページ
四国霊場55番 別宮山 南光坊 大師堂の改修工事現場へ行きました – 新木場の材木屋・木魂日記 (muku-flooring.jp)
(↓2010年2月の写真)
木造建築は、大切にすれば、永く残る。
もちろん、良い建築材料を使ってのことだろう。
今の家、、何年もつ???
修復後の大師堂。
この屋根に、再び爆撃が無いことを願う。
(↓2016年3月の写真)
南無大師遍照金剛m(_ _)m
続く。