令和6年4月21日(42)第55番札所 別宮山 金剛院 南光坊④ | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

本堂右に、修行大師様

南無大師遍照金剛m(_ _)m

四国第55番 南光坊の続きからです。

勤行の意義と歴史的背景等

三、懺悔のことば
 やはり七言四句からなる偈。我々は皆、出生いらいさまざまな
 欲望とともに生きてきている。そこには知ると知らざるとに
 かかわらず、必然的な罪科がつきまとっている。その罪を悔い、
 告白してきれいに洗い流す覚悟を宣言する。
 四世紀ごろインドで成立した『華厳経普賢行願品』に説かれて
 いることば。
仏前勤行次第
四、三帰三竟、、、、。(次回に。)   

           (四国八十八ヶ所霊場会 先達経典より)

忘れてしまった、、過去の記憶に埋れてしまった悔いもある。

四国の長い長い道を歩いていて、深い池の水の奥底から、ポツポツと

浮かびあがってくる粟粒のように、脳の記憶の中から思い出すことが

ある、、、、、。

あぁ、、あんなことをした。

こんな思いだった。

その時わからなかったけど、相手はこんな辛い思いをしていたんだ、、

、、、、、等々。

まだまだ、反省、懺悔しきれていないことが、山のようにある。

(それは、僕が愚かだから、、)

新しい愚行もある。

御仏の、御慈悲に縋りつつ、自らを悔い改めて歩くしかない。

 

本堂の次は、大師堂を見たいと思います。

大東亜戦争、、太平洋戦争でも、空襲の中、燃えずに残った大師堂。

避難された民衆がいたお堂に、米軍の焼夷弾が降り注いだが、屋根が

焼夷弾から守ったという。

いや、お大師様が守ってくださったのであろう。

以前の姿も見てみたい

(↓2006年3月の写真)

焼夷弾から、大師様を信じて逃げのびた人々を守った大師堂

そして、、お大師様。

(↓2008年12月の写真)

2010年に来た時は、、修復工事中でした。

⇓修復工事をした、青鳳工房のページ

南光坊大師堂 保存修理工事 | 今治市の工務店~強固で美しい建物を一つでも多く後世に~【青鳳工房】今治市の工務店 (seihou-k.com)

⇓見学された方のページ

四国霊場55番 別宮山 南光坊 大師堂の改修工事現場へ行きました – 新木場の材木屋・木魂日記 (muku-flooring.jp)

(↓2010年2月の写真)

木造建築は、大切にすれば、永く残る。

もちろん、良い建築材料を使ってのことだろう。

今の家、、何年もつ???

修復後の大師堂。

この屋根に、再び爆撃が無いことを願う。

(↓2016年3月の写真)

南無大師遍照金剛m(_ _)m

続く。