令和6年4月20日(42)こんにちは、、クスノキさん | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

僕も、、この道に、夢を見出だそう。。

ここは県道163号。

僕は、歩く凡人。

小さなお遍路の夢。。

続く。からです。

生きることはお遍路、、

今日も仕事に行った、、帰ってきた。

パソコンに、、向かう。

4月に行った、遍路の写真を見て、、

記録したノートを見て、、、

何を思い出す??

 

あぁ、、あのたった数日でも、遍路道に飛び込めた自分に、、

、、、、、何かの答えを見つけたい。

 

ただ、、道を歩いただけなんだ。

その道は、、生きる道。

『へんろ道』なんだ。

展示、、お店?

写真の展示があるのだろう。

見たかった。

想像するしかないな。

突き当りになって、、泣きそうな空と郵便局。

何気ない道を、、ただ、黙々と歩くこともある。

それが、楽しい時、そうでない時、、何が違うのだろう。

、、、全て、心の状態なのだろう。

四国遍路、、一周、、
通し打ちで、40~60日
お金と、時間があったら、、できる???
 
行きたいが、、今の自分に、耐えられるだろうか、、
たった、、そのくらいの日数に。
 
自分と、自分の心と、お大師様との旅。

、、、、、大丈夫だよ。

今を、生きているじゃないか。

みんな、今を耐えて生きているじゃないか。

 

四国路は、待っていてくれる。

 

方法は、いろいろあっていい。

一回切りでもいい、、

、、、何度行ってもいい。

ちょっとづつ行ってもいい。

 

車でもいい、団体でもいい、、

歩いてもいい。

 

、、、懐かしい景色が見えてきた。

大きなお屋敷

説明書きが、嬉しい。

天水瓶(てんすいかめ)のある旧大庄屋井出家

 江戸の初期、徳川方に味方した大庄屋井出家は、その功績により

「何んでも望みをかなえてやる」とのお達しで、わらぶきの屋根を

瓦にかえ、防火用として屋根に天水瓶を置くことを許された。

 その後、松山藩主の参勤交代の時には本陣(定宿)となっていた。

 昭和9年(1934)に大井村が譲り受け、同18年内部や窓などを

大改造し、役場として使用され、同50年(1975)まで続いた。その

後、農協や漁協にも利用されたことがある。

                   大西町史談会

 

 

高野山の金剛峯寺で見たような、、屋根の上の防火用水

お屋敷の角を曲がると、駅です。

お屋敷の敷地に立つ、、大きな大きなクスノキ
こんにちは(*^-^*)
また、会いに来れました。
続く。