僕も、、この道に、夢を見出だそう。。
ここは県道163号。
僕は、歩く凡人。
小さなお遍路の夢。。
続く。からです。
生きることはお遍路、、
今日も仕事に行った、、帰ってきた。
パソコンに、、向かう。
4月に行った、遍路の写真を見て、、
記録したノートを見て、、、
何を思い出す??
あぁ、、あのたった数日でも、遍路道に飛び込めた自分に、、
、、、、、何かの答えを見つけたい。
ただ、、道を歩いただけなんだ。
その道は、、生きる道。
『へんろ道』なんだ。
展示、、お店?
写真の展示があるのだろう。
見たかった。
想像するしかないな。
突き当りになって、、泣きそうな空と郵便局。
何気ない道を、、ただ、黙々と歩くこともある。
それが、楽しい時、そうでない時、、何が違うのだろう。
、、、全て、心の状態なのだろう。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240721/16/namunamuhiro/4e/97/j/o0582048015465704488.jpg?caw=800)
、、、、、大丈夫だよ。
今を、生きているじゃないか。
みんな、今を耐えて生きているじゃないか。
四国路は、待っていてくれる。
方法は、いろいろあっていい。
一回切りでもいい、、
、、、何度行ってもいい。
ちょっとづつ行ってもいい。
車でもいい、団体でもいい、、
歩いてもいい。
、、、懐かしい景色が見えてきた。
大きなお屋敷説明書きが、嬉しい。
天水瓶(てんすいかめ)のある旧大庄屋井出家
江戸の初期、徳川方に味方した大庄屋井出家は、その功績により
「何んでも望みをかなえてやる」とのお達しで、わらぶきの屋根を
瓦にかえ、防火用として屋根に天水瓶を置くことを許された。
その後、松山藩主の参勤交代の時には本陣(定宿)となっていた。
昭和9年(1934)に大井村が譲り受け、同18年内部や窓などを
大改造し、役場として使用され、同50年(1975)まで続いた。その
後、農協や漁協にも利用されたことがある。
大西町史談会
高野山の金剛峯寺で見たような、、屋根の上の防火用水
お屋敷の角を曲がると、駅です。
お屋敷の敷地に立つ、、大きな大きなクスノキ