令和6年4月20日(5)道を行く | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

分かれ道

左ですね、、ありがとうございます。

峠に向かおう。

続く。からです。

四国遍路、、とってもわかりやすい。

難しくはない。

弘法大師様の教えを信じ、ゆかりのある八十八の札所を目指し

ただ歩く。

四国遍路の三信条

一、摂取不捨の後誓願を信じ、同行二人の信仰に励みましょう。

一、何事も修行とこころえ、愚痴、妄言をつつしみましょう。

一、現世利益の霊験を信じ、八十八の煩悩の波を靜めましょう。

 遍路とは、「歩く」という肉体的な行動を通して、身体を鍛

えるとともに、心の変革をもとめる行為である。別段深い考え

がなくとも、ただ歩き寺々を巡っていくうちに、おのずと心の

変革が成されていく。遍路は、そういう趣きを備えているが、

実際の行動に移る前に、あらかじめ、心がけとか行動に込めた

意義を心に刻んでおけば、その効果がよりいっそう高められ、

深められるのは確かといえよう。

 四国遍路は、四国四県に散在する八十八の寺々を巡拝する行

為である。八十八の寺院は、いずれも歴史が古く、なにかしか

の形で弘法大師との由緒があると伝えられている。弘法大師は、

鎮護国家、済世利民を強調され、人々が幸せであり、繁栄する

ことを理想とされた。また、「即身成仏」という考えに立って、

一人ひとりが自らの能力、才能を存分に生かし切る生き方を目

指し、努力することを勧められた。

         (四国八十八ヶ所霊場会 先達経典より)

窓坂峠に向かいのぼる

へんろみち保存協力会の札キラキラ

ありがとうございます。

 

そう、、僕は、、お遍路に来ているんだ。

四国八十八ヶ所の、お参りだけじゃない。

お遍路なんだ。

愚鈍な僕だから、、こうしないと何もわからないんだ。

花を見て、、自然の大きな営みを見て、、

大切なことを教えてもらっているんだ。

僕も、身体いっぱい使って、、一緒に生きているんだ。

トンネルのような道。

草刈りをしてくださった方がいる。

歩きやすい道は、、誰かが先に歩き、用意してくださっている。

これも例えだ、、

現実の道を見て、、仏様の教えを思い出す。

何だったかな、、食べられる植物だったかな、、

きのこなども、知りたいな。

お花や木々も、、同じような形や仕組みがあるな、、

四だったり、五だったり、、

巻いていたり、交互だったり、、

そんな仕組みや性格を、、種の中に持ち続けているのだろうか。

一生懸命生きて、、次の世代につなぐのだろうか。

僕は、、この国に生まれた。

今の時を生きる。

僕は、、、心の中に持った種を、、つなぐ

何か、、穴の中に吸い込まれて行きそうな道

生き生きと走っていたであろう車さん

お疲れ様、、

豊かな人生に、とっても協力してくれただろう、、

、、、、、。

札が見える目💦

以前にあの、、郡境石があった、窓坂峠だ。

\(^o^)/窓坂峠到着~~~!!!

思ったより、、早く着いた??

7時11分

浅海の駅を6時半頃だったから、40分位で登ったんだね

 

峠の抜ける風が、気持ちいい

カメラ記念撮影。。(もちろんセルフ)

所々で写し、年賀状などに使う。

地面等にカメラを置くので、構図など、、いつも同じような

写真になる。

下りだろうか、、また、上りもあるだろうか、、

歩き出したら、、(^^;)

ニョッキっと竹の子さん

踏まなくて良かった。

カサカサ、、落ち葉を踏みしめる。

いにしえの人も歩いたであろうこの道。

病の人も、、箱車の人も、、通ったのだろう。

目の見えない方もいた、、

大師様を求めて、、いろんな人も歩いたであろう。

お殿様も、、。

国道を歩いたり、、山の道を歩いたり、、

脚に優しい土の道だな。

落ち葉も柔らかい。

一歩の祈り。

この祈り。

、、、あぁお大師様。

求める人々に光を、、、

重たい身体💦

94Kg、荷物15Kg(←荷物は減らそう💦)

なーに、それでも進める。

気持ちを、、心を燃やして。

足を前に出すんだ。

あきらめなければ、、いいんだ。

道しるべ、、

ありがとうございます。

整備された道。

地元の大切な道でもある。

見上げたら、、枇杷の小さな木だろうか

沢山実る、いい木になってね。

こちらは、、綿毛になって、、パラシュートになる

タンポポさん

夢を、、想いを、、のせて飛ぶ。

人生は夢物語。

大宇宙の命と共に生きる。

種の中に、、身体の中に、、宇宙を宿して。

仮面ライダーになりたかった僕。

電車の運転手になりたかった僕。
警察官になりたかった僕。
、、、今は介護士。
介護しながら、、整備や修理の仕事ばかりしている。
『心』の整備、修理が出来たらいいのに。
心の油を差したり、ネジを閉めたり弛めたり。。
きれいに拭いたり。。。
 
どんな事をしていても、何か大切なことを教えてくれている。

みかんの畑だな。

あぁ、、空があおい

あおい、、という色もいっぱいある。

毎日見れるのに、、いつもは見上げて見ない、、空。

どうして、遍路に来ると、、違って見えるのだろう。

下っていく、、、これで終わりなら、、楽ちんだが

いつも、、そうではない。

この日、、お宿は、今治の駅前に予約してある。

普通に歩けば、大丈夫な距離。

、、、ところが、ゆっくりして、、、となる。

瓦が置いてある

菊間ブランドの瓦

この辺りで、、地元の方に会った。

旧へんろ道について話した。

近年途絶えていたし、ゴルフ場ができ、変わってしまっている。

愛媛県生涯学習センター データベース「えひめの記憶」には

 旧街道を行く遍路道はこの窓坂池の堤の脇を上っていき、いわゆる

窓坂を越えて菊間町田之尻に至っていた。しかし現在、その峠の前後

にわたっての道筋は確認することが困難となっている。
 昭和54年(1979年)から同64年までの四国全体の遍路道の様子を

丹念に記録報告している梅村武氏は、「現在窓坂池から峠への旧道は

残っていない。(中略)今ある道はミカン畑の道だけで菊間側には通

じていない。」と述べている。また、平成6年における『今治街道』

の調査結果では、「(窓坂)池の堤を通ってミカン畑の道を進むと、

畑が終わるところで道が左右に分かれる。右が街道である。頭上を樹

木に覆われてしだいに通りにくくなる。峠は堀切(切通し)になって

おり、菊間町側は峠までミカン畑になっており、軽四自動車が通行で

きる道が峠まで通っている。」と報告書本文で、窓坂には一部旧街道

が今も残ると報告しているが、報告書付図では窓坂を通る旧街道の大

部分を「推定又は消滅した部分」と記している。
 浅海本谷小竹の地蔵堂の先で、旧街道を行く遍路道は国道196号を

横切って窓坂へ向かったが、国道それ自体は海岸線に沿って曲折し菊

間町に至る。この海岸線の道が開通したのが明治43年(1910年)で

ある。それ以後、遍路も平坦で起伏のないこの海岸線の道を行くよう

になった。窓坂越えの道は、長年の旧街道・県道あるいは遍路道とし

ての役割を終え、荒廃していくのである。

と、、あります。

峠までは、、街道だったのだろう。

そこから、、今の道は今の道。

歩きやすくなっている。

目道から脇にのぼる坂、、1つ

坂の上に祠

坂を上ろう

手摺に遍路札。

ここを守る人がいる。

何を守る??

書き尽くせないが、、歴史、心、遍路という文化

そして、弘法大師様への信仰。

右へんろ道 世話人 田ノ乙五郎、、、とのこと

お地蔵様、、、m(_ _)m

お地蔵様は、、土なんだって教えてもらったことがある。

あらゆるものを生み出す『土』

土から生まれ、、土に還る、、

ミラーポールにへんろみち保存協力会のシール

新しい道だね、、きれいだね

あの先から、、下りならいいけど、、、

さっきのおじさんは、ゴルフ場にのぼると、言ってた。

向こうの道に出た。。

峠を越えたけど

、、、のぼりだよね。

、、、もちろん。

上の方を見ると、、

こっちだよね。。。

さっきの、、道を教えてくださったおじさんだ

ありがとうございました。

(≧◇≦)

もうひと踏ん張り。

のぼるんだ!!

続く。