令和6年4月19日(15)浅海へ下る。 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

(@_@。海が見える

嬉しい

続く。。

からです。

あぁ、、素敵な景色。

登ったからこそ、喜びも大きい。

登山家が、大変な山を踏破したり、、

マラソン選手が、走り切った景色は、、

、、、、、こんな喜びでは、無いくらい、、大きいのだろう。

遍路人が、、そんな大きな大きな喜びを、、受け取れるのは、、

お遍路を終えて、お大師様の前に行くときだろう。

涙が止まらず、、震えが止まらないんだ。

大変ならば、、大変なだけ、、

さぁ、、もっと山を越えて、もっと躓いて、挫けて、、

自分を見つめて、、この先も行こう。

下りのカーブの、大きな木の陰に、、、

景色の素敵な休憩所があります。

『浅海地区まちづくり協議会』さんの

お遍路の為の癒しの休憩所

この景色や、トイレ、、

ほんとうに癒されます。

、、、なんて、四国の方って、受け入れてくださっているんだろう。

小屋や、トイレ、案内も、、あって当たり前じゃない。

ありがとうございます。m(_ _)m

トイレ、、、めっちゃ嬉しい(≧◇≦)

そして、、この場所、、この景色

風を感じて、、この場所を身体中で感じて、、

ここに来たんだって、、、。

道標が建てられています。

中務茂兵衛様の二百五十八度目道標です。

258度目というのは、、、本四国遍路を258度まわられたという

事です。

280回目の終わりの途上で、亡くなられた大先生。

どんな景色を見ておられたのだろう。

☞延(圓)明寺

二百五十八度目為供養建之

山口縣周防國大島郡椋野村住

施主 中務茂兵衛義教

 

☜延命寺

施主 新潟県佐渡郡小木港

伊藤ゲン、、、、、

 

右 新道 大正四年二月吉良日

世話人 浅海村 高橋鶴吉

山中でうれしき ものは道於し恵

説明が嬉しいです。

遍路案内の石碑(原)

 これは遍路案内表示の石碑です。この鴻の坂の分岐点の目印

としてあります。ここを下ると味栗の阿弥陀堂がありお遍路さ

んに疲れをとってもらおうと、昔はお接待の場所の1つに使わ

れていました。

 さらに原のおじのっさんの場所は、原の番所跡があり、行き

来する人が手形を示す関所だったそうです。そして、小竹の方

に行くと風早番外所の1つである小竹のお地蔵様のお堂があり

ます。そこにも同じ石碑があります。これはお遍路さんを200回

以上した九州の佐賀県の方が自費で建立しました。前後の札所

の案内や方向を示しています。ひっそり建っている石碑にも人

の思いがこめられています。小竹からは菊間にぬける窓坂峠が

ありその入り口には郡境碑もあります。

この休憩所から、道は分かれます。

ガードレールに矢印、そして、、道標石。

左に下っていく。

この道だな。

浅海の町へ下っていく。

??

花のかたまり

、、、なんだろう?

下りは、脚を痛めやすい。

ゆっくり、脚を気遣って進む。

随分、、町に近づいたかな。

自販機が嬉しい。

池の向こうに、浅海の町

天気で良かったな。

脚は、、くたびれてきた。

何故歩く?

何故、、それをしている?

疲れてきたら、、重くなってくる。

は~ぁ((+_+))

お、、お地蔵様

お地蔵様、、

足痛いです。

しんどいです。

心が、、挫けそうです。

 

スミマセン、、自分のことばかり言って。

誰かのために、、人の為に、、祈らないと、、、

先は、とっても長いのに、

日々、挫けそうになる自分。

続けるということは、、とてつもない忍耐力が必要になる。

何度も立ち止まる。

周りを見る。

何気なくても、、美しいじゃないか。

簡単に、遣り遂げられるものなら、、

自分にとって、大きな力にはならないだろう。

この、、人生の旅に、飛び込んだんだ。

『お遍路』という、、人生の旅に、、

ただ、、歩くだけなんだ、、

ただ、、祈るだけなんだ、、

偉大な、弘法大師、、空海様と一緒に、、

うん、、注意。

教えてくださることには、最新の注意で、、

自分は、自分で、しっかり守って歩く。

大切な、、人生の旅。

目を前に向けて、、

電柱のへんろみち保存協力会のシール

いつも、ありがとうございます。m(_ _)m

若い実ができている

枇杷だ(*^_^*)

美味しく実ってね

お~~っと

踏んでしまうとこだった。

ごめんね。

道の脇

上に、、御堂だな。

阿弥陀堂ですね

昔々は、、追いはぎの出る、道だったんだ。

 

今だって危ないことはある。

、、初めて歩いた時、、、、29才だったかな、、。

黒い高級乗用車に乗った、怖いお兄さん2人が、この山道で、、、

話し掛けてきたなぁ、、

お遍路って、、お金沢山いるだろう??

いくらくらいもってる???

車で、送ったろうか??

 

怖かったな、、誰もいない、山の道。

 

お金が無くて、、食べるものもないんです、、

助けてください、、、って、芝居した僕

、、、猿芝居、、よくやったな💦

 

怖いお兄さん2人は、僕を置いて、走り去った。。。

 

思い出がよみがえった。。怖い思い出。

 

阿弥陀堂(原)

 昔、鴻の坂には追いはぎがいて通る人は襲われるなどと

言われ人々から恐れられていました。しかし他には道がな

かったので大勢の人が通っていました。

 そのころは、四国八十八ヶ所参りをする人も多く、つえ

を持った白い衣の参拜者が、行列になって通る姿もよく見

られました。そのような人たちの為に、峠のむかう側には、

茶店もありました。また味栗地区には、この阿弥陀堂や地

蔵堂に参拝して、一休みする人たちの為に、お茶などを用

意した接待所も設せられていました。気候の良い3・4月

ごろは、とてもにぎやかだったそうです。

地元の方が、大切にしている阿弥陀堂

お接待を受けた、お遍路さんも、沢山いたことだろう。

m(_ _)mありがとうございます。

風早八十八ヶ所 第七十二番

光る屋根キラキラ

『水』の鬼瓦に、美しい懸魚

正面の蟇股

常香炉は、上部六角で、各方向に『南無阿弥陀仏』の一文字づつ。

内部を覗かせていただいた。

中央に、、阿弥陀如来様だろう。

右から、、お大師様、お釈迦様、阿弥陀如来様、

お不動様?、観音様、大日如来様。

味栗お大師講の祈りが貼られていた。

中央の仏様の上の額

『無量寿』阿弥陀様のことだろう。

『松山札辻より五里』

ここは、、街道

味栗集会所。

皆様、、ありがとう。

通らせていただきます。

続く。