令和5年12月26日(29)太山寺参道と一畑薬師 | お遍路 の記憶

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大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

まだあるにゃん三毛猫

、、、後ろも、、よく見ろにゃん目

ほんとだ、、

続く。

からです。

『月の虫や

    月の照らざる側も虫』 山冬子

 徳永山冬子 本名智。明治40年 宇和島に生まれる。

現在 神奈川県平塚市在住。

 昭和4年「渋柿」入門 松根東洋城に師事

 昭和27年、東洋城隠退に伴い「渋柿」誌の編集発行人。

昭和51年12月「渋柿」誌編集発行人。昭和51年12月より

「渋柿」誌主宰、現在に至る。

 平成元年4月「渋柿」誌900号を記念して松山渋柿会が

建立した。

 

ネットを見ると、お亡くなりになられていた。

生年 明治40(1907)年6月1日

没年 平成10(1998)年12月7日

講堂改修記念の寄付の石碑が並ぶ。

登って行こう

やっと、納経所💦

本堂はまだ250m

一ノ門から本堂まで、丁石によると8丁、、、。

小坊主様、、頑張って本堂まで、行ってきます。

後で、、こちらに来ますね。

左の道脇に、、墓石。

ここで亡くなられたお遍路さんだろうか。

阿波國海部郡の御方だな。。

南無大師遍照金剛m(_ _)m

その後ろにも、、大きな石が、、

長い戒名、、

高貴な家の御方だったのだろう。。

南無大師遍照金剛m(_ _)m

こちらの御堂は、、

目の霊仏 一畑薬師堂です。

四国24番の最御崎寺にも、一畑薬師様が勧請されていたな。。

↓2006年3月カメラ

出雲の一畑薬師より勧請した目の霊仏、、と

↓2023年7月

 島根県出雲市小境町にある一畑薬師様に行ってきました。

一畑薬師 御詠歌

眼のくもりやがて晴れゆく医王山 これぞ日本一畑の寺

大きな本堂

向拝虹梁の上の龍

一畑薬師で頂けるお茶

徳利に入れて持って帰ります。

続く。