H17,1/21⑧(2005年)高見真宏先生と法海上人堂 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

↓古いノート記録の書き出し、歩き遍路2度目・区切り打ち

最初の日のリンク。

 

ノートの記録があるので、参考に書いていきます。

ノートは20年も前の僕の言葉です、、、。

注:もちろん写真のデータは古いです。

写真が少ないので、新しい遍路の時の写真も、借りています。

 

続く。からです。

いよいよ、法海上人堂です。

江戸中期に、この地に来られた一人の遍路が、木賃宿に泊まりました。

木賃宿とは、燃料のマキ代位の安価で泊まれるお宿で、

食べ物のお米などは、自分で持ち込むお宿とのこと、、。

そのお宿で、米を盗んだと疑いのかけられた遍路は、

無実の証に、、、、、。

、、、、、宿の裏手に穴を掘り、その穴に入って、

「即身成仏」されたと、、、。

 

その方が、法海上人と呼ばれ、宝篋印塔墓とお堂が建っていました。

 

法海上人は大漁の神様とも書かれている文献もあり、

側に魚寄せ地蔵様も座られている。

法海上人堂に泊まった歩行不自由な遍路さんの、病が癒やされた話もあり。

 

 

時間が流れ、、平成10年の豪雨で大木が倒れ、お堂は押しつぶされました。

 

この地に来られた高見宏史さん(高見真宏師)の働きで、

お堂は立派に再建されています

↑2005年1月

初めてここを訪れた時は、2001年だった。

もう新しい六角の御堂は、光って建っていた。

その時は、高見真宏先生のことは知らず、御堂をちらっと見て、通

り過ぎた。

先生は、その年、高知と愛媛の境にいて、松尾大師(再建)

に取り掛かられていた。

、、、僕は、自分の遍路の先ばかり思い、少しばかりの気持

ちを残して、通り過ぎたのです。

 

初めての歩き遍路が終わり、遍路の途中で知った、遍路の

新聞や、本を知り、その中で、高見真宏先生の働きなどを

知りました。

 

先生の再建された御堂が見たい気持ちもあり、ここに来た

のかもしれません。

、、、あの本に書かれていたお堂だ。

感動した。

この地で即身成仏された法海上人

1度目の歩き遍路が終わって、バックナンバーを買い集めた。

「心のふるさと発見マガジン 四国へんろ」

14回にわたって連載されていた。

平成11年(1999)12月20日 六角堂落成

法海上人堂に参り、医者も見放す病気が治ったというおば

あさん。

南無大師遍照金剛

南無法海上人と祈られる。

難所 淀ヶ磯

土州安藝郡淀磯略図

↓2008年11月

美しい谷川の水が引かれていた。

きれいに掃除されていた。

法海上人様、、、また来ることができました。

中には入れませんので、写真を頂きました。

文字は刻まれていない、宝篋印塔

法海上人即身成仏の石塔

  

高見真宏先生、、御堂は、光っています。

トイレも、ありがとうございます。

何度見ても、、

もう一度刊行されないだろうか、、

旧法海上人堂

1998年5月18日豪雨によって倒れた巨木に、法海上人堂は

圧し潰された。

↓2009年2月逆打ち

静かな祈りの場所

命を懸けて、即身成仏になられた法海上人様。

病を癒してくださる法海上人様。

命を懸けて、私達の災いを、引き取ってくださったのであろうか。

その法海上人堂

1999年12月20日落成

東洋大師明徳寺が管理してくださっているんだね。

南無法海上人

m(_ _)m

谷側からの水を、引いている。

いつも助かる御トイレ

↓2010年1月

荒れる淀ヶ磯の海

かつて、道の無いような難所だった。

法海上人、木食仏海上人、、

難儀する旅人、巡礼者を助けてくださっていた。

再建され、淀ヶ磯の地に静かに建つ法海上人堂

きれいに掃除してくださっている。

御堂を見て、、

高見真宏先生を思い出す、、。

今まで、3度、お会いできた。

手水鉢、、水が止まっていた。

大阪南新町一丁目 三木佐平

谷川の、ホースが詰まっていた。

暫く格闘(;^ω^)

びちょびちょになった。。

、、、、、出た

法海上人様、、元気に来ることができました。

ありがとうございます。

谷川の水が出て、嬉しい顔

こっちも出た(^^♪

ひとつの御堂、ひとつの巡礼地、、

石仏、、

いろんな人の御尽力があって、、維持されている。

僕は、まだまだ、、何もわかっていない事を知った。

人のことや、大いなる流れ、、そんなことは知らず、

自分のことばかり思っている。

まだまだ歩いて、学ばないと、、。

続く。