↓古いノート記録の書き出し、歩き遍路2度目・区切り打ち
最初の日のリンク。
↓歩き6度目 区切り打ちスタート(現在進行中)
ノートの記録があるので、参考に書いていきます。
ノートは20年も前の僕の言葉です、、、。
注:もちろん写真のデータは古いです。
写真が少ないので、新しい遍路の時の写真も、借りています。
続く。からです。
いよいよ、法海上人堂です。
江戸中期に、この地に来られた一人の遍路が、木賃宿に泊まりました。
木賃宿とは、燃料のマキ代位の安価で泊まれるお宿で、
食べ物のお米などは、自分で持ち込むお宿とのこと、、。
そのお宿で、米を盗んだと疑いのかけられた遍路は、
無実の証に、、、、、。
、、、、、宿の裏手に穴を掘り、その穴に入って、
「即身成仏」されたと、、、。
その方が、法海上人と呼ばれ、宝篋印塔墓とお堂が建っていました。
法海上人は大漁の神様とも書かれている文献もあり、
側に魚寄せ地蔵様も座られている。
法海上人堂に泊まった歩行不自由な遍路さんの、病が癒やされた話もあり。
時間が流れ、、平成10年の豪雨で大木が倒れ、お堂は押しつぶされました。
この地に来られた高見宏史さん(高見真宏師)の働きで、
お堂は立派に再建されています。
↑2005年1月
初めてここを訪れた時は、2001年だった。
もう新しい六角の御堂は、光って建っていた。
その時は、高見真宏先生のことは知らず、御堂をちらっと見て、通
り過ぎた。
先生は、その年、高知と愛媛の境にいて、松尾大師(再建)
に取り掛かられていた。
、、、僕は、自分の遍路の先ばかり思い、少しばかりの気持
ちを残して、通り過ぎたのです。
初めての歩き遍路が終わり、遍路の途中で知った、遍路の
新聞や、本を知り、その中で、高見真宏先生の働きなどを
知りました。
先生の再建された御堂が見たい気持ちもあり、ここに来た
のかもしれません。
、、、あの本に書かれていたお堂だ。
感動した。
この地で即身成仏された法海上人
1度目の歩き遍路が終わって、バックナンバーを買い集めた。
「心のふるさと発見マガジン 四国へんろ」
14回にわたって連載されていた。
平成11年(1999)12月20日 六角堂落成
法海上人堂に参り、医者も見放す病気が治ったというおば
あさん。
南無大師遍照金剛
南無法海上人と祈られる。
難所 淀ヶ磯
土州安藝郡淀磯略図
↓2008年11月
美しい谷川の水が引かれていた。
きれいに掃除されていた。
法海上人様、、、また来ることができました。
中には入れませんので、写真を頂きました。
文字は刻まれていない、宝篋印塔
法海上人即身成仏の石塔
高見真宏先生、、御堂は、光っています。
トイレも、ありがとうございます。
何度見ても、、
もう一度刊行されないだろうか、、
旧法海上人堂
1998年5月18日豪雨によって倒れた巨木に、法海上人堂は
圧し潰された。
↓2009年2月逆打ち
静かな祈りの場所
命を懸けて、即身成仏になられた法海上人様。
病を癒してくださる法海上人様。
命を懸けて、私達の災いを、引き取ってくださったのであろうか。
その法海上人堂
1999年12月20日落成
東洋大師明徳寺が管理してくださっているんだね。
南無法海上人
m(_ _)m
谷側からの水を、引いている。
いつも助かる御トイレ
↓2010年1月
荒れる淀ヶ磯の海
かつて、道の無いような難所だった。
法海上人、木食仏海上人、、
難儀する旅人、巡礼者を助けてくださっていた。
再建され、淀ヶ磯の地に静かに建つ法海上人堂
きれいに掃除してくださっている。
御堂を見て、、
高見真宏先生を思い出す、、。
今まで、3度、お会いできた。
手水鉢、、水が止まっていた。
大阪南新町一丁目 三木佐平
谷川の、ホースが詰まっていた。
暫く格闘(;^ω^)
びちょびちょになった。。
、、、、、出た
法海上人様、、元気に来ることができました。
ありがとうございます。
谷川の水が出て、嬉しい顔
こっちも出た(^^♪
ひとつの御堂、ひとつの巡礼地、、
石仏、、
いろんな人の御尽力があって、、維持されている。
僕は、まだまだ、、何もわかっていない事を知った。
人のことや、大いなる流れ、、そんなことは知らず、
自分のことばかり思っている。
まだまだ歩いて、学ばないと、、。
続く。