↓古いノート記録の書き出し、歩き遍路2度目・区切り打ち
最初の日のリンク。
↓歩き6度目 区切り打ちスタート(現在進行中)
ノートの記録があるので、参考に書いていきます。
ノートは20年も前の僕の言葉です、、、。
注:もちろん写真のデータは古いです。
写真が少ないので、新しい遍路の時の写真も、借りています。
室戸に向かう難所だった道、、
道じゃなく、海岸線の石の上や、山の道を行ったという、、。
荒くれる、太平洋の海
延々と続くように思える道。
行こう、、最御崎寺へ、、
続く。からです。
僕の本当に、、心のふるさと発見マガジン
「へんろ」後に「四国へんろ」の後に「順礼マガジン」
廃刊になりました。(>_<)
高見真宏先生
お遍路中に三度会うことができました。
情熱のある先生。
僕は、、通り過ぎて、何のお手伝いもできなかった。
僕は、、四国に行っても、お接待を受けるだけで、
受けることに嬉しいばかりで、、、
何も返すこともできなかった、、愚か者です。
その時、、その時、、どう生きればいいんだろう、、
「今、、この時!!」
それがわからない、、馬鹿な男です。
先生に、、お会いできたのに、、、
お許しください。
四国の難所、、淀ヶ磯
難所中の難所
今は、国道55号が走り、車も歩きも、安全に行けるが、
かつては、、、海沿いや、道の無いような山を、越えて
室戸に向かったともいう。
こんなところに、、尊い方がいた。
木食仏海上人
法海上人
高見真宏先生
もちろん、弘法大師
難所中の難所に、道を開くためだろうか、、
殉職された御方もいた。
昭和45年8月21日の台風十号に、命を落とされた。
僕は、、その場所を通らせて頂いている。
国道の奥に、、かつての旧道だろうか。
荒くれる太平洋の波
こんな波に、かつての遍路人は、立ち向かって行ったのか。
「ゴロゴロ石」です
丸くなった石が続く、、、
波の力によって、石がこうなった。
とっても歩きづらい道です。
真剣に、、本気に、、
飛び石、跳ね石、ゴロゴロ石、、、
とんでもない場所、、
海を行かなければ、切り立った山。
海を行けば、荒くれる波と、足を奪う石。
国道を行く僕なんて、、かつての遍路人の、、、
何も知っていない。
百合さんが咲いていた。
続く。

















