令和5年 2月7日(14)久万高原、菅生の素鵞神社 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

うひょ~((+_+))

山間の里

日当たりが少ないのだろう。

ツルツルだ雪だるま

簡易アイゼン、大活躍チョキ

それでも、、ソロソロ歩く。

(今回2月の遍路で、ここが一番寒かった)

続く。からです。

今日は、5日間の勤務後の休み\(^o^)/

なかなか行けなかった、散髪と、、

散髪後のいつもの楽しみ、、産土神社へのお参り。

頭をきれいにして、気持ちも正して、お参り。

神様いつも、ありがとうございます。

それから、、友達でもある愛車と、のんびりトロトロのドライブ。

産土神社から出発し、いつも行く神社にも参った。

岸和田から、、泉佐野、、泉南の山を越えて、紀の国、、和歌山へ

紀伊國、、木の國、、一宮の伊太祁曽神社に参ってきました。

道々に桜、、、菜の花、、ちょうちょ(*^_^*)

 

春に行っても、夏に行っても

秋も冬も、、どんな季節もいつも、、祈る、、場所。

伊太祁曽神社の神様は、木の神様

いっぱい木を植えてくださり、ありがとうございますって

感謝いっぱいのお参りをしてきました。

 

さて、、、ブログは、2月の久万高原町

愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』によると、

槇谷公会堂と書かれた建物の横に遍路道標があります。

「嘉永四□いわやへ二十二丁

  左へんろみち 七月吉日(人名不明)」

 

この石を見て、先へ向かわれた遍路人

祈りながら、願いながら、、

すぐには辿り着かない

遠い、、厳しい、、

だからこそ、、、試される。

だからこそ、、、有難い。

 

行きたいの?

生きたいの?

水が、、水がぶ厚く、、コッチコチ雪だるま

凄いな((+_+))

神社に到着

愛媛県神社庁のページで調べると、、、、、。

 

「素鵞神社(そがじんじゃ)」

主祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)様

御由緒は、、

 大宝元年伊予国司散位小子玉輿社殿を造営。

 出雲国より勧請したので出雲宮と呼びたるも、明治初年

 大政官令布告によりて神社制度に改変ありて素鵞神社となる。

 とあります。

 

ですが、、自治会解散及び宮司不在神社とも、書かれています。

はじめまして、、、岸和田から来ました

お参りさせていただいても、いいでしょうか、、

よろしくお願いいたします、、。

力強い木

とんでもない力を感じるように思う

のぼらせていただきます

階段の上に、苔むした「御大典」「記念」の石

昭和天皇様の御即位の記念でしょうか

拝殿部に手形のある板が、掲げられている。

明治7年 甲戌 6月吉日と、、

10歳前後の子どもさんの手形が8人

右には、神輿が上げられていた。

左は写真が並ぶ

百人一首のような和歌が、並んでいた。

日光東照宮の写真

八幡太郎源義家、

奥州衣館城主・安部太夫藤原負住  安部三郎藤原宗住、、

奥州藤原氏の話の絵だろう

こちらは、、、富士山、、。

源頼朝公の絵かな、、イノシシも見える

冨士の巻狩りの図だろう、、別の神社でも見たな、、

何か、、地元のいわれのある話だろうか、、

松山 農 甲野新左門、、平素孝心深、、と

昭和39年と、読める写真

この、建物の写真と思われる。

日光東照宮の写真の横に昭和18年北京での写真が飾られている。

昭和3年撮影寄贈の鳥居の写真

高野山大仇討の圖

日本最後の仇討ちとネットには書かれていた。

こちらは、、

戦の図のようだが、よくわからなかった。

歌の額の下に、、

柔道愛好会資金寄附芳名、、と

この辺りは、柔道が熱心だったのだろう

歌の額が多く並ぶ

手前の蟇股に、三つ巴の御紋

山邊赤人、、山辺赤人さんだ、、

若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る

若浦尓 塩滿來者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡

昔の人って、、文字がきれい過ぎて、わからない

(;^ω^)

お参りを終えて、、休憩にしました。

靴を脱いで、、足から湯気が、、

寒くても、汗いっぱいです。

朝、JR松山駅で買ったおにぎりを、食べようと、、

リュックを開けたら(/ω\)

おにぎり、、ペッちゃんこ。

2個も、ぺっちゃんこ。

平たい餅みたいになっていた。

(´;ω;`)ウッ…

、、、リュックを締め過ぎた。

 

おにぎりを少し取り、供養に供えてから、

いただきました。

 

へんろみち保存協力会の解説書には、、

携帯した弁当を山中や海岸など人里離れたところで拡げるときは、

まず周辺の諸霊を供養しておく。おかずか御飯の一箸分を手のひら

に乗せ、顔面の高さに捧げて一礼し「どうぞおあがりください。」

と云って周辺の草むらに軽く放ってあげる。

パンの場合はひとかけらでもよい。餓死、憤死した諸霊をまず供養

してから箸をとると、食物にかかる諸霊の念が断たれる。

と、あります。

食べて、、お茶飲んで、、

足を休めるのに、、しばし休憩。

 

神社の下では、重機の音。

林業の方が木材を運ばれていた。

 

向こうの山から、キャタピラの車で運んで、神社前に降ろしていた。

その後、そのお兄さんも、トラック内で昼食のようだった。

自分の住んでいるところから離れた、四国の地

久万高原町に来て、自治会解散及び宮司不在神社とはいえ、

歴史のある神社にお参りできた。

御祭神の建速須佐之男命樣、、

僕の住む地元の産土神社は、山城の国の八坂神社(祭神、速須佐之男命)の

御分霊を勧請したという。

 

ゆっくり休ませていただいた。

50分程、神社で過ごさせていただいた。

神様、、ありがとうございました。

久万高原町菅生の素鵞神社

建速須佐之男命様、、ありがとうございました。

m(_ _)m

ん??目

町指定文化財(天然記念物)ツクバネガシの群生

こちらの木だろうか、、

さぁ、、出発だ

素敵な橋だね。カメラキラキラ

橋は、渡らず、真っ直ぐ行きます。

そして左の細道へ

へんろみち保存協力会の立札が、導いてくれています。

ありがとうございます。

m(_ _)m

行くぞ~~っ(^^)/

続く。