お遍路の祖
衛門三郎様が、札始めをされた大師堂へ
続く。からです。
帰らないといけない時間が迫ってきていた。
残り1時間ちょっとで、付近のバス停からのバスに乗らないと、
予約しているJR松山駅発の高速バスに接続できない。
札始大師堂にお参りして、バス停に向かうことになるだろう。
スマホで検索し、頭にも入れた。
ガードレールにへんろみち保存協力会の立札。
ありがとうございます。
m(_ _)m
米寿を記念して、道標を建ててくださった方がいる。
「左へんろみち」の道標
工場の間を進む。
昔は田畑だったであろう。
いいなぁ、、、この景色も
ガードレールに青い矢印シール
ありがとうございます。
右の方には、この道に沿って県道207号が走っている。
遍路道は、この後、県道207号に合流して、西林寺へ向かうことになる。
目の前に墓地
その向かいにお堂
着いたんだ\(^o^)/
衛門三郎様が最初に、名を書いた木札を打ち付けたお堂
あ~(#^.^#)
懐かし~い
角に石碑
地元、小村の三好孫太郎樣が建てられたもの
「→右 衛門三郎 札始大師堂道」
こちらです
番外霊場 青岸山 札始大師堂
真念「道指南」に「小村、大師堂」とあるのがこことみられる。
堂内の奉納額によれば、「弘法大師の後を追って、遍路姿の衛門三郎は
小村の堂を尋ね、大師自刻の尊像に懺悔し、帰来を待ったが大師は現れず、
三郎は紙片に国所姓名等を記して、その札を堂に貼り納めた。
それ故に当所を衛門三郎札始所という」と。
(管理 大蓮寺 963-2769)
(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)
愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』には、、
遍路道は、大正橋で御坂川を渡り、左折して田んぼ道をしばらく進むと、
建立者が米寿を記念して建てた「左へんろみち」と刻まれた道標がある。
この道標の右側を北にしばらく進むと、真念が「○小村、大師堂、此間川三瀬有。」
と記した小村の札始大師堂に至る。
この大師堂は、衛門三郎が一夜、弘法大師の帰来を待ったといわれ、境内には
「四国霊場遍路開祖衛門三郎札始大師堂」の石碑が立っている。
大師堂にはかつて通夜堂があり、春には巡拝者のための茶の接待も行われていた。
地域の人々は、大正時代まで夏の土用の入りには、大師堂に納められた納札を一枚ずつ
小竹に挿(はさ)んで田んぼの水口にさし、豊作を祈願していたという。
と、記されています。
記念撮影
「四国霊場、、、、 」
「四国霊場 大蓮寺
遍路開祖 衛門三郎 札始大師堂」
先ず、、お清めから
文政十 丁亥年
1827年ですね
「奉修 弘法大師千百五十年御遠忌法要 報恩謝徳矣」
お大師さまお泊り跡の石碑と宝篋印塔
弘法大師の文字が見えます
お参りさせていただきますm(_ _)m
続く。