令和4年12/27(23)番外霊場 青岸山 札始大師堂 | お遍路 の記憶

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お遍路の祖

衛門三郎様が、札始めをされた大師堂へ

続く。からです。

帰らないといけない時間が迫ってきていた。

残り1時間ちょっとで、付近のバス停からのバスに乗らないと、

予約しているJR松山駅発の高速バスに接続できない。

札始大師堂にお参りして、バス停に向かうことになるだろう。

スマホで検索し、頭にも入れた。

ガードレールにへんろみち保存協力会の立札。

ありがとうございます。

m(_ _)m

米寿を記念して、道標を建ててくださった方がいる。

「左へんろみち」の道標

工場の間を進む。

昔は田畑だったであろう。

いいなぁ、、、この景色も

ガードレールに青い矢印シール

ありがとうございます。

右の方には、この道に沿って県道207号が走っている。

遍路道は、この後、県道207号に合流して、西林寺へ向かうことになる。

目の前に墓地

その向かいにお堂

着いたんだ\(^o^)/

衛門三郎様が最初に、名を書いた木札を打ち付けたお堂

あ~(#^.^#)

懐かし~い

角に石碑

地元、小村の三好孫太郎樣が建てられたもの

「→右 衛門三郎 札始大師堂道」

こちらです

番外霊場 青岸山 札始大師堂

真念「道指南」に「小村、大師堂」とあるのがこことみられる。

堂内の奉納額によれば、「弘法大師の後を追って、遍路姿の衛門三郎は

小村の堂を尋ね、大師自刻の尊像に懺悔し、帰来を待ったが大師は現れず、

三郎は紙片に国所姓名等を記して、その札を堂に貼り納めた。

それ故に当所を衛門三郎札始所という」と。

(管理 大蓮寺 963-2769)

(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)

 

愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』には、、

 遍路道は、大正橋で御坂川を渡り、左折して田んぼ道をしばらく進むと、

建立者が米寿を記念して建てた「左へんろみち」と刻まれた道標がある。

この道標の右側を北にしばらく進むと、真念が「○小村、大師堂、此間川三瀬有。」

と記した小村の札始大師堂に至る。

この大師堂は、衛門三郎が一夜、弘法大師の帰来を待ったといわれ、境内には

「四国霊場遍路開祖衛門三郎札始大師堂」の石碑が立っている。

大師堂にはかつて通夜堂があり、春には巡拝者のための茶の接待も行われていた。

地域の人々は、大正時代まで夏の土用の入りには、大師堂に納められた納札を一枚ずつ

小竹に挿(はさ)んで田んぼの水口にさし、豊作を祈願していたという。

と、記されています。

記念撮影カメラキラキラ

「四国霊場、、、、   」

「四国霊場 大蓮寺

 遍路開祖 衛門三郎 札始大師堂」

先ず、、お清めから

文政十 丁亥年

1827年ですね

「奉修 弘法大師千百五十年御遠忌法要 報恩謝徳矣」

お大師さまお泊り跡の石碑と宝篋印塔

弘法大師の文字が見えます

お参りさせていただきますm(_ _)m

続く。