令和4年12/26(22)坂本屋と捜索隊 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

雪の、段々畑

牛舎や段々畑が見れて、、ちょっとホッとした。

下りてきたんだな、、って。

牛舎の方を、振り返る。

この日のお宿は、次の札所の前

長珍屋さん。

あと、5.9Km

続く。からです。

昔の遍路宿の坂本屋手前まで下りてきました。

松山からは距離のある、宇和島のバイクが止められていました。

もしかしたら、行方不明の方のものか、又は関係者のものかもしれ

ません。

春の文字の入った、お遍路さんであろう墓石。

春の季節に、この地に休まれたのでしょう。

m(_ _)m

南無大師遍照金剛

ここは、久谷地域

書かれているように、遍路発祥の話である「衛門三郎様」の住んでいた

地域であり、子供達の墓である塚も残されているという。

すぐ先に、昔の遍路宿であった坂本屋がありました。

今は、休憩所、接待所として使われている。

いい雰囲気の建物

今でもお宿だったらいいのにな、、、

説明が貼られていた。

冬の間は、トイレのみ使用できるとのこと。

有難いです。

遍路道の地図も掲示されている。

昭和の初期までお宿だったんだな、、。

次の札所 浄瑠璃寺まで6.5Km

正岡子規かこの地を旅して残した句「旅人のうた のぼりゆく 若葉かな」も

記されている。

坂本屋の復興に尽力された団体等の記念碑が建てられている。

ありがとうございます。

m(_ _)m

坂本屋で、靴を脱ぎ、トイレ休憩もしました。

 

ここ坂本屋には、

地元消防団の方々が集まっておられました。

行方不明の方の、捜索のようです。

上空には、警察のヘリも飛んでいるとのこと、プロペラの音が

聞こえていました。

早く、見つかることを祈って下ることにしました。

坂本屋を振り返る、、、。

どうか、、無事に見つかりますように、、

山道から、集落に入りました。石垣の苔と、葉っぱさん

雪で冷たくても、元気。

石灯篭脇に、集められた遍路墓

文字は消えつつあるけど「遍路墓」

天保年間 讃刕高松枩嶋の文字が刻まれている。

高松の松島のお方であろう。

遍路をして生きた証。。

ここで休まれた。。。。。

2010年2月の写真

何か、、赤いものが見えた目

唐辛子を干していた。(*^_^*)

神事が行われる場所なんだろう

その横で、見守る仏様

へんろみち保存協力会の立札が見えました。

車道から右へ

案内をありがとうございます。m(_ _)m

下り道、、ゆっくり足を運ぶ。

上空では捜索の警察のヘリが飛び回っていた。

続く。