雪の、段々畑
牛舎や段々畑が見れて、、ちょっとホッとした。
下りてきたんだな、、って。
牛舎の方を、振り返る。
この日のお宿は、次の札所の前
長珍屋さん。
あと、5.9Km
続く。からです。
昔の遍路宿の坂本屋手前まで下りてきました。
松山からは距離のある、宇和島のバイクが止められていました。
もしかしたら、行方不明の方のものか、又は関係者のものかもしれ
ません。
春の文字の入った、お遍路さんであろう墓石。
春の季節に、この地に休まれたのでしょう。
m(_ _)m
南無大師遍照金剛
ここは、久谷地域
書かれているように、遍路発祥の話である「衛門三郎様」の住んでいた
地域であり、子供達の墓である塚も残されているという。
すぐ先に、昔の遍路宿であった坂本屋がありました。
今は、休憩所、接待所として使われている。
いい雰囲気の建物
今でもお宿だったらいいのにな、、、
説明が貼られていた。
冬の間は、トイレのみ使用できるとのこと。
有難いです。
遍路道の地図も掲示されている。
昭和の初期までお宿だったんだな、、。
次の札所 浄瑠璃寺まで6.5Km
正岡子規かこの地を旅して残した句「旅人のうた のぼりゆく 若葉かな」も
記されている。
坂本屋の復興に尽力された団体等の記念碑が建てられている。
ありがとうございます。
m(_ _)m
坂本屋で、靴を脱ぎ、トイレ休憩もしました。
ここ坂本屋には、
地元消防団の方々が集まっておられました。
行方不明の方の、捜索のようです。
上空には、警察のヘリも飛んでいるとのこと、プロペラの音が
聞こえていました。
早く、見つかることを祈って下ることにしました。
坂本屋を振り返る、、、。
どうか、、無事に見つかりますように、、
山道から、集落に入りました。石垣の苔と、葉っぱさん
雪で冷たくても、元気。
石灯篭脇に、集められた遍路墓
文字は消えつつあるけど「遍路墓」
天保年間 讃刕高松枩嶋の文字が刻まれている。
高松の松島のお方であろう。
遍路をして生きた証。。
ここで休まれた。。。。。
2010年2月の写真
何か、、赤いものが見えた
唐辛子を干していた。(*^_^*)
神事が行われる場所なんだろう
その横で、見守る仏様
へんろみち保存協力会の立札が見えました。
車道から右へ
案内をありがとうございます。m(_ _)m
下り道、、ゆっくり足を運ぶ。
上空では捜索の警察のヘリが飛び回っていた。
続く。