座った前の、花壇から見えた
小さな景色
ツツジの中に、黄色い花
(後でわかりましたが、
さつきのようです)
雨は続くか止むかわからず、
行くことにしました。
続く。
僕は、馬鹿だった、、人が一生懸命書いておられるブログに、
反論してしまいました。
僕には、見えず、わかりもしないのに、、
見えない世界の話を、語ることの、、なんと難しいことか。。
本当のことかどうか、本人以外に確かめようもない。
ただ、、僕の知っているのは、、
人は、、失敗したり、間違えたりするけど、
あらゆることを通して、学んでいるっていうことだ。
僕は、特別な力も何もない、さらに「弱虫」なので、
できることなんて、何もありませんが、
毎日書くブログを通して、自分なりの思いを持ち始めました。
いろんな人の言葉を通して、知ることを積み上げています。
そして、実践として、日々生きて、「お遍路」も続けています。
信じる、信じないは、自分で決める。
力強く言えることは、自分自身の体験したことだけだな、、
、、、まぁ、ただの弱虫の生き様なのだが。
さて、、内子手前の運動公園で雨宿り
終えて、歩き始めました。
この日のお宿は、内子の町の民宿「やまもも」さん。
もうちょっとで着くんだな。
公園の池に
鳥さんに鯉
お友達かな
山が2つにわかれ、景色が開けてきました\(^o^)/
公園を降りてきたら、、駐車場に公園、トイレ
いい場所だな
道を下っていくと、、墓が並んでいた
内子の運動公園下の池ここの脇に、二体の仏様がおられます
こんにちは~また来ることができました(≧◇≦)
赤い帽子が素敵です
暑くても寒くても、、雨だろうと、、、
2005年の写真
2010年の写真
仏様の並ぶ池の前は「思案堂」です
内子町のホームページには、、
弘法大師が当地に来た時、野宿をしよう か久万方面に行こうか、
あるいはどこに札 所をおいたらよいかと思案した場所である との
言い伝えがある。内子の入り口にあた り、かつては四国遍路の休み
処として賑 わった。建物は木造で、昭和 30 年 (1955) に修繕され
ている。かつてはお堂の近くに 「番外さん」と呼ばれる庵があり、
高野山 から直接ここに出張所が設置されていたと も伝わる。
天保 4 年(1833)造の遍路道道標、明治 16 年 (1883) 造、
昭和 10 年 (1935) 造の遍 路石柱がある。
と、記されている。
2005年の写真
大きな樹は、切り株になっていました。
2022年、令和4年
2005年、、昭和30年に修繕されたというお堂ですね。
2008年、、横の木も写っています。
2010年更に新しく修復された
お堂になっています
明治十六 三月吉日 奉納四國八十八ヶ所 八十四歳○○喜惣平
天下泰平 奉納 四國秩父板東 百八拾八箇所巡拝
〇〇萬吉 同 イワ
2010年の天気の日 文字が読めますね
内子四国八十八ヶ所の58~60番
以前写した 内子八十八ヶ所の地図
こちらの帽子をかぶった仏様は、、
馬頭観音様でしょうか。
車の無い時代、馬さんは大切な交通手段
馬の守り神とされた仏様
こちらには、、
祈るお遍路さんの姿に、雲に乗る大師様
純粋な信仰のお気持ちがこもっている。
2010年撮影
六地蔵様
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道
あらゆる状態にいても、導いてくださるという
屋根の付いた、阿闍梨の墓石も見えました。
平成21年6月の思案堂改築志納者の御芳名
札所以外のお大師さまの足跡、、巡礼地
大師様を求めて歩く。
内子のマンホール
サツキの花の絵とのこと
さぁ、下って行きましょう。
続く。