令和4年 5/25(15)宇和の学校 | お遍路 の記憶

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大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

町に入って行くんだな

景色が開けました。

続く。  よりです。

43番札所 明石寺から降りてきて、学校の横に出ました。

 

学校の横には、薬草園があります。

池があって、、

遊んじゃいけないですね(;^ω^)

水場、、があって

小山の中央に、弓を持った武人が立っています。

首飾りをしている

横に、宇和の彫塑界(ちょうそかい)の祖

白井雨山先生  と書かれている

その先生が彫刻、、塑像された像なんですね

大正六年に、白井雨山先生が制作した神武天皇像とのこと

神武天皇像の横に 薬草園があります

いつも、、見ても、、薬草を覚えられてないなぁ、、

ちょっと、、ぼうぼう(;^ω^)

わかりにくいな、、。

ドクダミだけ、、わかる💦

2005年、、見やすかったな

2008年、、うんうん(*^^*)

見やすかったな

学校の向かい側、、

神武天皇像に薬草園、そして、二宮敬作翁の石碑があります。

細かい文字が刻まれています

地元の人に、、石碑を作ってもらえる人生

生まれ持った星か、、

本人の血のにじむ努力か、、

何かか、、

石碑の内容が、記されています。

二宮先生は、農家の家に生まれていますが、長崎に勉強に行ける

ということは、大きなお家だったのでしょうね。

シーボルト先生に六年師事し学び、木草学・理学を学び、富士山の

高さの計測や、新種の植物の発見などさてているとのこと。

シーボルト先生の娘のイネさんの養育をし、高野長英の脱獄を助け

二度もかくまったと記されている。

医業を開き、藩医になり、、貧窮者からはお金を取らなかったと。

大正十二年朝廷より正五位を贈られ、地元医師会にこの石碑を建て

てもらったということのようです。

生きていく中で、、思いを貫くことって、

なかなか できない事だ。

人って、、初心を忘れて、、変わってしまうこともある。

 

自分の利益を求めてしまう。

アリ地獄

大きな落とし穴。

 

二宮先生は、貫いたのだろう。

石碑を通ると、右に大師堂があります。

四角い大師堂👀

ここは、開明学校の元となった私塾が開かれていた大師堂の場所という。

その大師堂は、茅葺で大正のはじめまであったと記されている。

明治から100年目にこの大師堂が建てられたとのこと。

学校横の小さなスペースに 歴史が詰まっていて、、、。

宇和のドラマがいっぱい。

某NHKさん←言っちゃった(/ω\)

ドラマにして

看板の中の地図部分

茅葺で、大正のはじめごろまであった大師堂の図

きっとどこかに、写真も残っているでしょうね、、。

教育熱心な宇和の「開明学校」について、、

西予市のページ↓

開明学校/西予市 (city.seiyo.ehime.jp)

明治15(1882)年に町民の寄付により建築された学校とのこと。

 

宇和の大師様

この地で学んだ沢山の人がいた。

そして、、地元住人の寄付により、開明学校ができた。

 

学ぶことに熱心な土壌があったんだな、、、

白井雨山先生 二宮敬作先生、、もっともっと、、

熱心な方がいらっしゃったんだな

 

歴史を見守ってくださった大師堂の仏様

お坊様のお墓と、、仏様。

大師堂から急坂を下り、、家の間を抜ける

こう行きます、、(>_<)

降りたら、、校門

開明学校じゃないですよ

現在は特別支援学校になっています。

旧愛媛県立宇和聾学校ですね。

宇和の町 入ったばっかりなのに、

足が止まります。

続く。