町に入って行くんだな
景色が開けました。
続く。 よりです。
43番札所 明石寺から降りてきて、学校の横に出ました。
学校の横には、薬草園があります。
池があって、、
遊んじゃいけないですね(;^ω^)
水場、、があって
小山の中央に、弓を持った武人が立っています。
首飾りをしている
横に、宇和の彫塑界(ちょうそかい)の祖
白井雨山先生 と書かれている
その先生が彫刻、、塑像された像なんですね
大正六年に、白井雨山先生が制作した神武天皇像とのこと
神武天皇像の横に 薬草園があります
いつも、、見ても、、薬草を覚えられてないなぁ、、
ちょっと、、ぼうぼう(;^ω^)
わかりにくいな、、。
ドクダミだけ、、わかる💦
2005年、、見やすかったな
2008年、、うんうん(*^^*)
見やすかったな
学校の向かい側、、
神武天皇像に薬草園、そして、二宮敬作翁の石碑があります。
細かい文字が刻まれています
地元の人に、、石碑を作ってもらえる人生
生まれ持った星か、、
本人の血のにじむ努力か、、
何かか、、
石碑の内容が、記されています。
二宮先生は、農家の家に生まれていますが、長崎に勉強に行ける
ということは、大きなお家だったのでしょうね。
シーボルト先生に六年師事し学び、木草学・理学を学び、富士山の
高さの計測や、新種の植物の発見などさてているとのこと。
シーボルト先生の娘のイネさんの養育をし、高野長英の脱獄を助け
二度もかくまったと記されている。
医業を開き、藩医になり、、貧窮者からはお金を取らなかったと。
大正十二年朝廷より正五位を贈られ、地元医師会にこの石碑を建て
てもらったということのようです。
生きていく中で、、思いを貫くことって、
なかなか できない事だ。
人って、、初心を忘れて、、変わってしまうこともある。
自分の利益を求めてしまう。
アリ地獄
大きな落とし穴。
二宮先生は、貫いたのだろう。
石碑を通ると、右に大師堂があります。
四角い大師堂👀
ここは、開明学校の元となった私塾が開かれていた大師堂の場所という。
その大師堂は、茅葺で大正のはじめまであったと記されている。
明治から100年目にこの大師堂が建てられたとのこと。
学校横の小さなスペースに 歴史が詰まっていて、、、。
宇和のドラマがいっぱい。
某NHKさん←言っちゃった(/ω\)
ドラマにして
看板の中の地図部分
茅葺で、大正のはじめごろまであった大師堂の図
きっとどこかに、写真も残っているでしょうね、、。
教育熱心な宇和の「開明学校」について、、
西予市のページ↓
開明学校/西予市 (city.seiyo.ehime.jp)
明治15(1882)年に町民の寄付により建築された学校とのこと。
宇和の大師様
この地で学んだ沢山の人がいた。
そして、、地元住人の寄付により、開明学校ができた。
学ぶことに熱心な土壌があったんだな、、、
白井雨山先生 二宮敬作先生、、もっともっと、、
熱心な方がいらっしゃったんだな
歴史を見守ってくださった大師堂の仏様
お坊様のお墓と、、仏様。
大師堂から急坂を下り、、家の間を抜ける
こう行きます、、(>_<)
降りたら、、校門
開明学校じゃないですよ
現在は特別支援学校になっています。
旧愛媛県立宇和聾学校ですね。
宇和の町 入ったばっかりなのに、
足が止まります。
続く。