令和4年 3/30(9)番外霊場 香雲山 満願寺① | お遍路 の記憶

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大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

菜の花畑の先

お寺が見えました。

満願寺です。

続く。より。

道の脇に石碑と看板が見えます。目

駐車場脇の石碑と看板

満願寺は、少し右に入ります。

二重柿の看板もあります

愛媛県指定の天然記念物

推定樹齢三百年

デジカメって便利

いっぱい撮れて、記録できて引き延ばせて、、

すぐ見れて、、

今更ながら感動

こんな看板も、写しておいて、後で見れちゃいますね。

40番札所 観自在寺から、41番札所 稲荷寺、龍光寺まで、

3本の遍路道があったが、江戸時代の後期には真ん中の中道は、

通行禁止されていた様子が書かれています。

満願寺へのお参りができない道を、通らされた時代か続いた

ようです。

灘道、中道、篠山道のルート

駐車場から先の道

車道はトンネルへ向かいますが、歩き遍路道は、手前を左に

曲がります。

さぁ、、、お寺に向かいましょう(*^_^*)

 

 

来た来た!(^^)!

真念さん  来ましたよ

番外霊場 香雲山 満願寺 

本尊 聖観世音菩薩

開基 不詳

宗派 臨済宗妙心寺派

第四十番観自在寺から次の札所へ向かうへんろ道は、①篠山道、

➁中道、③灘道、の三筋あるが、当寺はその結節点にある。

地元の古い史誌には、八百年以上前からの札所であると記録

されている。

真念「道指南」には、「この寺八十八ヶの中にあらずといえど

も、大師草創の梵宮にて、そのかミハ大がらんなりしが、

はゑとし久しくつくるになんなんとす。

今出す所の霊場記、此道しるべ両道の料物をあつめ、彼等を

しゅりせん事、真念念願、序のごとし。」

と記し当寺の修理復元に強い熱意を示していた様子がうかがえる。

(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)

 

この寺は八十八ヶ所の中に入っていませんが、弘法大師が

創建なさった由緒あるお寺で、前の時代には大伽藍の大寺院

でしたが、栄えていた年は久しく過去になり、まさに廃れ

ようとしています。今出版中の「四國徧禮霊場記」と

この「四國徧禮道指南」の二つの出版による利益を集めて、

この満願寺を修理することが真念の念願となっています。

(講談社学術文庫 四國徧禮道指南 眞念 稲田道彦=訳注より)

とっても春の句ですね

長年、寺の入り口で迎えてくださった仏様

薬壷??お持ちかな、、、

六地蔵様

石垣が見えます。多くの建物があったのかな

大きな樹があったようです、、

さぁ、、手を清めて

心を静めて、、

本堂

「よろつよの ねかいをこゝに満願寺

   ほとけのちかひ たのもしき哉」

いつの世でも人の願いをかなえてくれる満願寺

仏の誓いを頼もしく思います。

お寺の説明ですね目カメラ

平安時代中期の 木造観世音菩薩坐像と、木造薬師如来坐像が、

愛媛県指定の有形文化財として指定されている。

平安時代からの歴史あるお寺なんですね。

二重柿は弘法大師様の杖を立てたのもが、根を下ろして、木に

なったといわれる。

大師様は来年の令和5年に、生誕1250年になるから、、

この柿の木は、樹齢300年ほど。何代目か後の木になるんだな、、。

清満戦没者位牌堂

この地区から、大陸へ行かれた方が多かったのですね。

位牌堂横の池

本堂から一段上へ、、門もあります

門の手前 明治時代のもの

門の右側には常香炉

薬師堂

お地蔵様かな、、

大師堂

二重柿の木、、、これですね

柿の実の中に、もう一つ実が入っている 子持ち柿の木

独特な形ですね

新しい柿の木かな

随分痛んでいるようです(>_<)

三百年の柿の木

「おんころころ 今年も豊年 親子柿」

続く。