良くなった天気の中、法海上人堂に着いた。
日本三大難所の一つとも呼ばれる淀ヶ磯の地にあります。
江戸中期に、この地に来られた一人の遍路が、木賃宿に泊まりました。
木賃宿とは、燃料のマキ代位の安価で泊まれるお宿で、
食べ物のお米などは、自分で持ち込むお宿とのこと、、。
そのお宿で、米を盗んだと疑いのかけられた遍路は、
無実の証に、、、、、。
、、、、、宿の裏手に穴を掘り、その穴に入って、
「即身成仏」されたと、、、。
その方が、法海上人と呼ばれ、宝篋印塔墓とお堂が建っていました。
法海上人は大漁の神様とも書かれている文献もあり、
側に魚寄せ地蔵様も座られている。
法海上人堂に泊まった歩行不自由な遍路さんの、病が癒やされた話もあり。
時間が流れ、、平成10年の豪雨で大木が倒れ、お堂は押しつぶされました。
この地に来られた高見宏史さん(高見真宏師)の働きで、
お堂は立派に再建されています。
高見先生は、ここ以外にも、高知と愛媛の境の松尾大師堂なども再建されている。
(その他もあり。)
初めての歩き遍路をした時、高見先生は、丁度、松尾大師堂の再建途中だった。
そこで、温かいコーヒーを入れてもらって、お堂再建の話を聞いた。
僕は、急いでお寺まわりすることだけ考え、、
自分のことだけ考え、、、
気持ちだけ置いて、通り過ぎてしまった。
、、、、、立ち止まり、1日でも2日でも、お手伝いすればよかった。
その後、高見先生とは2度、遍路道でお会いすることになる。
先生の関わられたお堂を見ると、胸が熱くなります。
(現在の法海上人堂)
堂内の写真、、入堂できないので、
「穴」から撮させていただきました。
法海上人様の宝篋印塔墓
山からは、きれいな水が流れています。
魚寄せ地蔵様
地元にとって、漁業は生活そのもの、、
沢山の願いを聞いてこられたんですね。
ありがとうございます。
海の方に向いて、座られている。
文化6年と、、
いつの時代も、人々と共にいて下さる
魚寄せ地蔵様。
そして、法海上人様。
法海上人様は、
生きたまま、土中入定された、、、
何故?
それは、人々のため、、、、、。
その御方は、
お遍路されて、、この地に来られ、、
不幸な事情はあったが、
生きたまま、、
生きたまま、、、
土の穴に入られて、、、
念仏を唱え続けて、、、、、。
即身成仏。
なぜ、、、。(´;ω;`)
それは、、人々のため、、、。
命を懸けた修行、、。
南無大師遍照金剛
南無法海上人、、、、、。
ゆっくり休憩せせていただきます。
座ったら、後ろにお猿さん。
びっくり!!!
お猿さんは気にしないで、
靴、靴下、中敷きを乾かす。
まだ、じゅくじゅく、、。
リュックの背も、じっとり、、。
ポカポカな、あったかい時間。
心もあたたかくなる。
僕も、、癒やされていたのかもしれない
貴重な休憩時間。
続く、、、。