H30 5/14 No,2 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

良くなった天気の中、法海上人堂に着いた。

日本三大難所の一つとも呼ばれる淀ヶ磯の地にあります。

 

江戸中期に、この地に来られた一人の遍路が、木賃宿に泊まりました。

木賃宿とは、燃料のマキ代位の安価で泊まれるお宿で、

食べ物のお米などは、自分で持ち込むお宿とのこと、、。

そのお宿で、米を盗んだと疑いのかけられた遍路は、

無実の証に、、、、、。

、、、、、宿の裏手に穴を掘り、その穴に入って、

「即身成仏」されたと、、、。

 

その方が、法海上人と呼ばれ、宝篋印塔墓とお堂が建っていました。

 

法海上人は大漁の神様とも書かれている文献もあり、

側に魚寄せ地蔵様も座られている。

法海上人堂に泊まった歩行不自由な遍路さんの、病が癒やされた話もあり。

 

 

時間が流れ、、平成10年の豪雨で大木が倒れ、お堂は押しつぶされました。

 

この地に来られた高見宏史さん(高見真宏師)の働きで、

お堂は立派に再建されています。

 

高見先生は、ここ以外にも、高知と愛媛の境の松尾大師堂なども再建されている。

(その他もあり。)

初めての歩き遍路をした時、高見先生は、丁度、松尾大師堂の再建途中だった。

そこで、温かいコーヒーを入れてもらって、お堂再建の話を聞いた。

 

僕は、急いでお寺まわりすることだけ考え、、

自分のことだけ考え、、、

気持ちだけ置いて、通り過ぎてしまった。

、、、、、立ち止まり、1日でも2日でも、お手伝いすればよかった。

 

その後、高見先生とは2度、遍路道でお会いすることになる。

 

先生の関わられたお堂を見ると、胸が熱くなります。

 

(現在の法海上人堂)

堂内の写真、、入堂できないので、

「穴」から撮させていただきました。

 

法海上人様の宝篋印塔墓

山からは、きれいな水が流れています。

魚寄せ地蔵様

地元にとって、漁業は生活そのもの、、

沢山の願いを聞いてこられたんですね。

 

ありがとうございます。

 

海の方に向いて、座られている。

文化6年と、、

いつの時代も、人々と共にいて下さる

魚寄せ地蔵様。

そして、法海上人様。

 

法海上人様は、

生きたまま、土中入定された、、、

何故?

それは、人々のため、、、、、。

 

その御方は、

お遍路されて、、この地に来られ、、

不幸な事情はあったが、

生きたまま、、

生きたまま、、、

土の穴に入られて、、、

念仏を唱え続けて、、、、、。

即身成仏。

 

なぜ、、、。(´;ω;`)

それは、、人々のため、、、。

命を懸けた修行、、。

 

南無大師遍照金剛

南無法海上人、、、、、。

 

ゆっくり休憩せせていただきます。

 

 

座ったら、後ろにお猿さん。

びっくり!!!

 

お猿さんは気にしないで、

靴、靴下、中敷きを乾かす。

まだ、じゅくじゅく、、。

 

リュックの背も、じっとり、、。

ポカポカな、あったかい時間。

心もあたたかくなる。

 

僕も、、癒やされていたのかもしれない

貴重な休憩時間。

続く、、、。