新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之四
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そして小文吾は母屋で行われている宴会があるとは知らずに、一日中、
「我が身に追っ手が必ず来る」
と油断せず、日が暮れては旦開野(あさけの)の事が心に浮かんできて、外に出たり、家の裏口に立ち、また築垣に耳をすませて、あちこちの様子を知ろうとしていたが、対牛楼(たいぎゅうろう)に居るのではないかと、笛鼓の音が聞こえてきて、
「まさか今宵も酒宴があって、舞や歌に合わせて遊んでいるのか。良い機会だから旦開野は、符牌(きって)を奪うことができるだろうか。なんとかなる。」
と思うと、夏の夜はすでに更けてしまい、音曲の調べも聞こえず、寂寥として夜風は涼しく、木の間を照らす月影のみ明かりだけだった。その時小文吾は元の所から退いて、さらに考えた、
「今夜旦開野が成すことが、成功するか失敗するかは、ともかく、あれほど約束をしたのだから、用意もしないままでいたら、成功の実をむすぶことはないと思おう。行李(たけつつみ)と笠、以外は、持っている物は無いけれど、既に時が近づいているから、準備をしなくては」
と、急いで物を集めて、裳裾を褄取(つまと)り、まくり上げて、三尺手拭いをしっかり結んで、脚絆を着けて、腰につけていた脇差しはどこかにいってしまったが、大刀を引っ提げて、縁側に立ち出て見ると、望月が西に近づく影がはっきりとしてきたが、暁を告げる鐘の声が、数を重ねて、四更(やっつ)となった。この時、母屋の方では、頻りに人が叫び、踏み鳴らす足音が、とても幽かに聞こえてきて、小文吾は耳をそばだてて、
「さては旦開野、成功せずして、見咎められて捕らわれたのか。そうでないならば酒狂(しゅきょう)の争いか。はっきりしなくて、どうすればよいのか。」
と思う胸が騒いでしまって、外に出て見て、入って見て、様々な物に心をくだいて、およそ半時ばかり経つと、物の音は静まった。あの垣一重に隔たれて、何が起こっているか聞くこともできない身の上は、靴の上から足を痒みを掻こうとしても、手も届かぬ状態に似ていた。
「たとえ、今、旦開野が搦め捕らわれたのならばとしても、私は簡単に命を捨てて、救おうと考えているが、轍鮒(てつふ)を枯魚(こぎょ)の市に問い、麀鹿(いうろく、牝鹿)の肉を憐れむ[1]のに似て、その甲斐はない。ましてや彼女に大事を任せて、烈女が殺されてしまうのはもったいない。私は誤りを繰り返したのか」
と独り納得しつつ、縁側に腰をかけて母屋の方を、繰り返しよく見ていたのだった。
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【用語解説】
[1] 麀鹿の肉を憐れむ
詩経・大雅・文王之仕・灵台 の条(孟子、粱恵王篇上)
孟子見梁惠王、王立於沼上、顧鴻鴈麋鹿、曰:「賢者亦樂此乎?」
孟子對曰:「賢者而後樂此、不賢者雖有此、不樂也。
《詩》云:『經始靈臺、經之營之、庶民攻之、不日成之。
經始勿亟、庶民子來。
王在靈囿、麀鹿攸伏、麀鹿濯濯、白鳥鶴鶴。
王在靈沼、於牣魚躍。』
文王以民力為臺為沼。
而民歡樂之、謂其臺曰靈臺、謂其沼曰靈沼、樂其有麋鹿魚鼈。
古之人與民偕樂、故能樂也。
《湯誓》曰:『時日害喪?予及女偕亡。』民
欲與之偕亡、雖有臺池鳥獸、豈能獨樂哉?」
意訳)
孟子が粱の恵王に面会し、王が鴻鴈麋鹿(様々な生き物)を見て
「賢者もまたこれを楽しむか」
と尋ねた。これに孟子は次の様に答える。
「賢者であればこそ、この景色も楽しみます。詩経では文王が民の力を借りて庭園を造り、民はその庭園を楽しんで『靈臺』と名づけ、放し飼いの鹿や魚とともに、人々は楽しみました。」
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