里見八犬伝第六輯 巻之四 第五十七回 その1 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之四


第五十七回 対牛楼毛野鏖讐 墨田河文吾逐舩

      対牛楼(たいぎゅうろう)に毛野讐を鏖(みなころし)にす
      隅田川に文吾舟を逐(お)う

(この1 ここから)

 このようにして、犬田小文吾は旦開野が築垣を越えて、すでに母屋に戻っていて、そちらに暫し、見送って、やがて臥房(ふしど)に入ったのだけれども、心が落ち着かないまま日が明けて、

 「それにしても旦開野(あさけの)は、田楽傀儡(くぐつ)でありながら類い希な男魂(おとこたましい)があるだけでなく、百歩以上も向こうから、築垣の辺から笄を使って季六を、討ち止めた手練(しゅれん)といい、気長に私を話をする、その心ばえが雄々しいではないか。今、図らずも彼女の助けによって、脱出することができれば、海月(くらげ)の骨を見付けることよりも、得難い幸いとなるだろうが、常武もまた、普通の敵手(あいて)ではないから、城門の出入の符牌(きって)などは、用心して盗まれることはないだろう。もし、(この脱出が)成功しない場合、旦開野は命をそこで落としてしまうに違いない。なんらかの感情があるのだろうが、侠気(きょうき、おとこぎ)のあり、残念ではあるが彼女を私のせいで、失うのは不憫である。とはいうものの、今は良い術(すべ)も無い。女々しく物を思うよりも、二人で運を天に任せて、明日のよい機会を待というではないか。」

 と思うのも果てしなく夏の夜、明ければ五月十五日、この日は朝から雨が降って、未の頃(午後二時)から空は晴れたのだった。小文吾は心の中で、

 「季六が撃たれたことを、常武がすぐに知ったならば、多勢で私を撃つに違いない。もうすぐ追っ手が来るのかもしれない。」

 と、刀の寝刃(ねたば、切れ味の落ちた刀)を合わせて磨ぎながら、終日(ひねもす)油断をしなかったが、男童(おのわらわ)等が三度の食事を運ぶことも、毎日同じであったのだが、今日もはかなく暮れていった。

 さて、一方で常武は、去る日対牛楼(たいぎゅうろう)で小文吾に密謀を告げて話をした時に、まったく引き受ける気持ちを感じられなかったので、すみやかに片付けて、後の愁いを除くために、まず男童等に命令して、毎日小文吾の様子を窺わせていたので、約十日あまりを経て、

 「小文吾は夜となく昼となく、用心に隙がございませんが、ようやく倦み疲れて、時々熟睡することがございます。」

 とその童等が報告したので、

 「それは、良い事を聞いた」

 と、密かに卜部季六を使って、ある夜に小文吾を暗殺しようとしたが、次の日になっても季六は、戻ってこなかった。しかし小文吾は無事で、離座敷にいるようなので、常武は、ますます疑い迷って、再び男童を忍びに、彼処(かしこ、離座敷)の様子を窺わせると、

 「曲演(せんすい)の側の草葉が鮮血に塗(まみ)れていました。また曲演の水は常にかかって、薄紅(ももいろ)になっています。」

 と告げたので、常武は頻りに吐息をついて、心の中で次の様に考え、

 「さては、昨夜、季六は返り討ちにあって、小文吾がその死骸を水に沈めて隠したのだろう。私がその死骸を詮索して、人殺しの罪をもって、小文吾を殺し、数十人がかかろうとも、自胤も私に非があるとは咎めることはできないだろう。さっそく打ち殺そう、そうしよう。」

 としばらく心の中で考えると、この日の五月十五日は、その子の鞍弥吾の誕生日であり、毎年城中でいろいろな人を招いて寿の宴会を開き、酒を盛って遊ぶという吉例があったので、やむを得ず、小文吾をを討ち取るという一件は明後日に延期して、この日は午の刻(正午)頃から、賓主(ひんしゅ)皆で杯をめぐらして、歓びを尽くして、旦開野の田楽能に、各々興を催して、長い日を遊び足らず、燭を点けてなお、飽きることがなかったが、その夜子(ね)二つの頃になって、客は次第に返り去り、あるじ親子主従は、泥のように酔ってしうものばかりで、臥房によろめき入るものや、所々で倒れていびきの音が牛の声のように響き、野良猫よりもうるさく、前後不覚に寝入ってしまっていた。


(この1 ここまで)