新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之三 第五十五回
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このようにして、その日は暮れ果て、宵から春雨が降り、その音はしめやかに更(ふ)けていって、とても寂しい鐘の声が響き、小文吾はひとり熟々(つらつら)思っていた、
かの常武の人となりは、私も大方想像が付くが、あの品七がずぼらで、思いかけなくその隠し事を聞ければ一つの助けになるだろうと、そしてそれがハタされなければ、この後の用心されてしまう事が多かった。だから馬加の若党である狙渡(さわたり)増松という者が毒殺されたという事件をもって、考え合わせると、私もまた日頃から食後に猛(にわか)に腹痛に見舞われ、とても耐えがたしい日があったころから、薬の貯蔵(たくわえ)もあることと考えられ、護身袋(まもりふくろ)を披(ひら)いて、感得秘蔵(かんとくひぞう)の玉を出して、或いは鳩尾(みぞおち)に押し当てて、またあるときは口に含んで、その薬液を飲み込むと、苦痛はたちまち治まって、心持ちは清々しくなったのだが、これは何度も起きるとは思えなかった。これは確かにあの椀の中にあったと思われる毒に当たったのだが、ただこの玉の奇特によって、癒えたのであって、またこの玉の霊能なれば、誰でも、霊玉の加護を疑う者はいないだろう。ああ、神の力か、妙なるかな。世の中は塞翁が馬(1)にして、戸田川の窮厄(きゅうやく)では、十条力二尺八等の助けによって私は、思いがけなく虎口を逃れ、今は千葉家の尺八のために、我が身をほとほと危うくしている。あの兄弟は忠信義烈、こちらの名品は音曲尚古で、同じ尺八の名前でありながら、利害損益は全く異なっている。私を襲った不幸を、今理解したとはいえ、あの粟飯原に比べれば、大したことではないだろう。それにしても粟飯原氏の遺児は成長しただろうか。宇宙の間に不平等があるとしたら、その子の人生だろう。ああ、憐れだ。」
と繰り返した胸の内に、過ごした日を数えていると、春は過ぎて、夏が来ていたが、あの品七は、あとで掃除に来ることもなかったので、小文吾は密かに訝しんで、ある日草刈りに来た下僕(しもべ)に、品七の事を問うと、それに次の様に答えて、
「お尋ねの品七ですが、昨月の何日でしたか、ここに掃除にきた次の日の夕方、急に気持ちが悪くなって、床に臥したかと思うと、夥しい血を吐いて、真夜中頃に亡くなりました。これまで病の気配も無く、風邪などにもひかない老人(おやじ)で、食べ物にも当たったことがありませんでした。元気だったとはいえ、命の長さは誰もがわからないのでして」
の話に驚いた小文吾は、さりげなく応えながら、腹の中で次の様に思い、
「もしかすると、その日の夕膳を持ってきた男童(おとこわらわ)が、品七の長物語を幾ばくか聞いていて、主人の常武に告げ、そのため常武が品七を恨んで毒殺したにちがいない。嗚呼、馬加が人を殺す毒を使うとは、何と執念深いことか。あの品七は私の兄弟、犬飼現八(犬飼現八)の実の父親糠助(ぬかすけ)と、古くから所縁(ゆかり)があるということを聞けば、谷を隔てて響き合うように、この心の悼みを誰に告げたらよいだろうか。実(まこと)に口は禍(わざわい)の門(かど)である。」
と舌を震わせて、これから食べる物をことごとく、必ず先ず自分の玉を舐めてから、毒による謀を祓うことにした。
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【用語解説】
(1)塞翁が馬(さいおうがうま):人の幸不幸は移り変わり、それを予測することはできない、という意味の故事成語。出典は後漢の頃、淮南子(えなんじ・淮南王劉安)が皇帝(武帝)の命で、国中の学者を集めて、編纂させた思想書をまとめた。「塞翁が馬」はその中の一つである。白文は次の通り。
近塞上之人、有善術者。 :砦付近に住む人で、有識の老人が居た。
馬無故亡而入胡。 :馬が訳もなく逃げて、胡国に行ってしまった。
人皆弔之。 :人々はこれをなぐさめた。
其父曰、 :その老人が言った、
「此何遽不為福乎。」 :「これは福ではないと言えようか、いや、きっと(福と)なる。」
居数月、其馬将胡駿馬而帰。 :数ヶ月待つと、その馬が胡の駿馬を連れて帰って来た。
人皆賀之。 :人々はこれを賀した。
其父曰、 :その老人が言った、
「此何遽不能為禍乎。」 :「これは禍ではないと言えようか、いや、きっと(禍と)なる。」
家富良馬。 :(その老人の)家は、良馬が増えた。
其子好騎、墮而折其髀。 :その子は乗馬を好んでいたが、落馬して足を折ってしまった。
人皆弔之。 :人々はこれをなぐさめた。
其父曰、 :その老人が言った、
「此何遽不為福乎。」 :「これは福ではないと言えようか、いや、きっと(福と)なる。」
居一年、胡人大入塞。 :一年が経ち、胡の人が退軍で砦に攻めてきた。
丁壮者引弦而戦、近塞之人、 :体の丈夫な若者は、弓弦をひいて戦ったが、砦の近くの人は
死者十九。 :十人中九人が死んだ。
此独以跛之故、父子相保。 :この老人の息子だけは足が不自由だったため、父子ともに無事だった。
故福之為禍、禍之為福、 :このような理由で、福が禍となり、禍が福となる、
化不可極、深不可測也。 :その変化を見極めることはできず、その奥深さを測ることはできない。
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(第五十五回 了)