南総里見八犬伝 三 第六輯第六巻第五十四回 その4 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之二

第五十四回 常武疑囚一犬士 品七漫話説奸臣 その4

 

「このようにしているうちに、千葉実胤殿は、病気がちになり、引退を願うようになりました。家督を弟の千葉自胤に譲ろうと、議論をすると、馬加常武が考えていることを述べました。
 『赤塚の城中には、粟飯原首胤度(あいはらあほとのたねのり)、籠山逸東太縁連(こみやまいつとうだよりつら)という、二人の老党がいます。いずれも当千葉家の一族で、その中でも胤度は、下総志摩の如来堂において、常瑞と了心が自殺したときに、主君と共に腹を切る粟飯原右衛門尉の子を、千葉自胤(よりたね)に仕えるようにしました。自胤が家督を受け嗣げば、かの両人も従って、第一の権門(きりもの、忠義の武士)となりましょう。しかし、私の権勢を削られて、外聞悪く言われるのは口惜しいことです。籠山縁連は血気さかんあ若者で、深い思慮はありませんが、騙すのは難しく、私が憎いのは胤度なのです。議論など必要ないでしょう。』
 と密かに謀をめぐらせて、これより後に赤塚に赴いて千葉自胤の安否を伺い、粟飯原と籠山の両老党等と、他の事についても打合せて、ある日馬加常武は、千葉実胤の宝庫(みくら)から、あらし山という一節截(ひとよきり)を密かに取り出して、これを懐にして赤塚の粟飯原の宿舎に赴き、密議があると言って、空いていた部屋で対面して囁いたのです。
 『私が今日参りましたのは、守(かみ)の命令によるものです。未だお聞きになっていないでしょう。この度、許我殿(足利成氏)と両管領家とが、和睦するという話が出ています。守は近いうちに、家督を赤塚殿(千葉自胤のこと)に譲ろうとお考えになって、管領の助力があるとはいえ、今更許我殿に刃向かうことも思えず、すべて今後安泰と思われたようです。それでこの和睦の事を世に披露する前に、使者を許我殿に送る事で、後々上手くいかせようとされています。しかし、石浜から使者を遣わせば、鎌倉には後ろめたい事になります。千葉自胤から使者を出せば、誰も疑わないでしょう。そして、許我殿への贈る引出物については、当家は本国から離れているため、気の利いた重器(ちょうき、宝物)などありません。この一節截は曩祖(のうそ、祖先)貞胤(さだたね)の頃からの相伝の物ですので、御所にも知られておりますので、これを進上されてはどうだろうか。この私の物は、自胤の心を持って、添えるものとしようか。この事を大切な密議だから、お前は密かに胤度(たねのり)の宿所に赴いて、私の思いを伝えよ、と仰ったのです。』
 と実(まこと)しやかに話をして、件(くだん)の笛を渡すと、胤度はひときわ喜んで、少しも疑わず、
 『仰せの話は、有りがたいことと承った。急ぎ話を進めて、仰せのままに相計らって、私(胤度)が許我へ赴いて、帰城の後、そちらの首尾を申し上げよう。この義、よろしくお執り無しを、頼むぞ』
 と答えたので、馬加常武は、
 『よし、上手くいった』
 と、心の中にほくそ笑んで、石浜へと帰ったのです。

 このようにして、粟飯原胤度は、その日千葉自胤のもとに参って、馬加常武が伝えた、実胤の秘密の意志を述べて、例の笛を進上すると、自胤は感悦が大きく、
 『石浜殿の御計らいは、私のことを思ってのことで、どうして違背などしましょうか。実際に許我殿への引出物に笛だけではどうであろうか。今一品を何かないだろうか』
 と思いつかないまま問うと、胤度はしばらく思案して、
 『少し前に私が鎌倉へお使いを承った時に、彼の地で贖い得た長短二口(ふたふり)の刀の事、焼刃が尋常ではない物ですので、そのまま進上させて小笹落葉と名づけられて、しっかりとご秘蔵されたではありませんか。あの両刀こそ丁度良いでしょう』
 と言い終わらぬうちに、自胤は、頻りに頷いて、
 『あの太刀のことを忘れていた。引出物は、これで揃った。この使いに立つのは、あなたの他にはいないだろう。疲れているとは思うが、頼むぞ』
 と他事もなく述べると、胤度はにっこりと笑って、
 『仰せが無くても、すでに用意をしておりました。明朝旅立ちます』
 と言うと、自胤は喜んで、次の間に控えていた、近習の者に心得させて、小笹落葉の両刀と嵐山の笛とともに、胤度に渡すと、胤度はこれを受け取って、急いで宿所に退いて、その日のうちに細工職人等に、笛と両刀を納めるための箱を二つ三つ作らせて、急いで旅装を整えて、それは戦国の世ならではの速さだった。乗馬、持ち槍、具足櫃、命は今宵一節切(ひとよきり)、小笹の雪か、消えにゆく、底に落葉の両刀を、携えたのは若党二人と、従者(ともひと)、あわせて十人ばかり、その翌朝明けると、許我を目指して、旅立ったのでした。」

 畢竟(ひっきょう、結局)許我への使いが、今後どのような物語になっていくのか。それはこの巻に著した挿絵を見ても、予測できないでしょう(次巻を待て)。

(第五十四回 了)