南総里見八犬伝第六輯 巻之三 第五十五回 その1 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之三


第五十五回 馬大記賺言途窮籠山 粟飯原滅族里遺犬坂

     馬大記(まだいき)賺言(たんげん、すかしごと)して途(みち)に籠山を窮せしむ
     粟飯原(あいはら)滅族(めつぞく、みなつみ)せられて里に犬坂を遺す

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 品七はいきおいにまかせて、馬加(まくわり)が隠していた物語をすることで時を移せば、小文吾は耳をそばだてて、感嘆して食い入るように聴き入ってしまい、春の日もただ更けていきました。日が短いと感じていました。その時品七は、小文吾が煎れた茶を、急いで飲んで、縁側の端で、扇をとって膝に突き立てて、
 「そのようにして、馬加大記常武は、その夜複信の若党を、あちらこちらへ差し向けて、
 『粟飯原胤度(あいはらたねのり)がの旅立ちですぞ、どうだ見よ』
と遣わして、その者どもは翌朝帰り来て、
 『粟飯原殿は黎明(いなのめ)の頃、主従およそ十人ばかり、旅装を整えて、栗橋の方へ向かったようです』
と告げると、馬加常武はこれを聞いて頷いて、その日、赤塚城に集まって、時節の安否を尋ねたところ、自胤は対面して、
 『きのうは守のご内意をを伝えられて、怡悦(いえつ、悦ぶこと)の至り、謹んで承りました。ついては贈りました嵐山の笛に小笹落葉という、私の秘蔵の両刀を相添えて、これを胤度に持たして、今朝早く許我へ遣わしました』、
 と言い終わらないうちに、常武は、とても驚いた顔色になり、
 『それは考えてもいませんでした。私はさる御内意を伝えた事はございません。去る時に胤度が私の宿所に来て、何くれとなく語らってその中で、当家の重宝、あらし山の一節切は、貞胤様より六世(ろくせ)、相伝の御物ですが、赤塚殿は未だ見る事のないもの。このことを貴方の計らいで、恩借を許させることができれば、おおいに歓ばれるであろう、と他事も無く言われたので、私はこれに頷いて、ご秘蔵の重器は他家に貸して見せることはありませんが、御舎弟のご希望ならば、なんとかなるのではないでしょうか。近日便宜を得られれば、貸し上げると約束した事で、昨日、かの笛を携えて胤度の宿所に赴いて、約束していた一節切を持って参り、ご覧の後速やかに、返してもらおうと念を押して、胤度に渡したのです。そこで昨日は公私の所要が重なって、行くところがあったので、そのまま出かけてしまいました。しかるにかの笛を理由も無く他家へ渡されれば、事は私の落ち度となって、たちまち罪となりましょう。とても愚かにも胤度に欺かれてしまい、悔しいことです』、
 と声を怒らして言うと、頻りに嘆息していると、自胤はとても驚いて、
 『それは良くない椿事(ちんじ、非常の出来事)である。胤度はこの頃、忠臣無二の老党だと思っていたが、まさかそのような奸曲(かんきょく、悪巧み)があったとは。このこと必ず理由があるにちがいない。何か思い出すことは無いか』
 と問われた常武は、頭を傾けて
 『そのような理由はないと思います。近頃世の風聞に、粟飯原首胤度は、千葉一族の家系を誇って、主君ご兄弟を押し倒し、武蔵七郷、葛西三十ケ荘の領分を押領しようと、密かに目論見、足利成氏殿に内応して、その逆心が既に間も無くと、ほのかに聞こえてきておりますから、ここは恨みある者の奸計であると思い捨てて、なお疑うことで、真実がわかると思います』
 と言うと、自胤の顔色が変わって、
 『そうであるならば、少しの時間も惜しい。誰かある、いそぎ逸東太(いつとうた)を召し寄せよ』
 と激しく当番に言うと、近臣はたちまち奔走して、すぐに呼び継ぐと、常武は、
 『仕掛けは上々』
 と思う心を顔にも見せず、遠巻きの間に退いていった。

 しばらくして、当城の第二の老党である、籠山(こみやま)逸東太縁連(いつとうたよりつら)は、急なお召しに物もとりあえず、走って御前に参ったところ、自胤はより近くに呼びつけて、胤度の事の次第を、つぶさに落ちもなく言葉を尽くして説明して、
 『あなたはこれから、旅立って胤度を追い捕縛せよ。恐らく彼は五六里先を進んでいることだろう。もしすでに敵地に到着しているのならば、進退はかなり不便になるだろう。栗橋よりこちら側で追いつくことが肝心だ。そして粗忽な振る舞いで、事を荒立てるのも問題である。ただ普通に命を伝えて、言い残したことがあれば、対面して話すように、速やかに戻るようにと、告げてその顔色を窺いなさい。胤度に野心がなければ、疑わないまま戻ってくるだろう。彼がもし命令を聞かず、そのまま彼の地に行こうと欲するならば、それは逆心があることが明らかであり。手だてをもってひしひしと、搦め捕って、城に率いて来るように。たとえ敵方が加勢をよこして、胤度を討ち漏らしたとしても、嵐山の笛と二振りの名刀だけは取り返すように。手柄もなく戻ってきたとなれば、私はあなたを疑うことになるだろう。よく働いてくれ』
 と言うと、縁連(よりつら)は、議論もせずに欣然として言葉を承って、席を蹴り立てて退くと、常武は遠侍(とおさむらい)なる衝立の影にいて、今、縁連がそのそばを通り過ぎるのを密かに呼び止めて、
 『あなた様が大事な御使いを仰せつかったのは、朋友として喜んでおります。私は、今、一言申し上げて餞としましょう。あなたが胤度に追いつけば、すでに了見がある事と思います。胤度がいなくなれば、誰があなたと肩を並べるものがいましょうか。自胤が石浜城に移ることになれば、私も、あなたの下風に立つことになります。かならず、抜かりなきよう』
 とそそのかされて、縁連は、意中を悟って、ニコッと微笑んで、
 『あなたのご意見には感佩しました。よくわかっております』
 と言ったと思ったら、すでにいち早く立ち去って城戸の方で、引き寄せた栗毛の馬の鞍に手をかけて、ひらりと乗り、東をさしえて、走らすと、続く従者が四五十人が、喘ぎながらも、それを追いかけていった。


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