そして、信乃と額蔵は、この日十三四里の路を走って、栗橋の駅路(うまやじ)に宿をとった。ここから許我の里へ、四里まではかからない。
「もし荘官が人を遣って、後を付けさせているかもしれない」
と予め思っていたので、道中は少しも雑談しなかった。しかしここに車で、疑わしいことがなく、幸いにも相宿(あいやど:相部屋のこと)する旅人もいなかったので、両人は安心して、しばらくぶりに閑談(かんだん:静かに話をすること)して、共に長旅の疲れを感じていなかった。この時信乃は額蔵に、神宮河の事について、蟇六の様子、土太郎の事までも、詳細に話すと、額蔵はそれを聞いて、小首を傾けて、
「それは入水にかこつけて、あなた様を殺そうと謀ったのではないでしょうか。危ないところでした」
と驚嘆した。信乃もしばらく思案して、
「害心があるのはわかっていたが、どういうわけか、あの人はいつも執着していたのは宝刀の事だと思っていたのだが、私を許我へ遣わせたのだ。これは浜路を宮六に嫁入りさせる為だけなのだろうか。はじめに許我へ参れと言ったのは、私の心が許されて、神宮河で殺す為だったのか。その計画が失敗したので、私は虎穴を逃れられたのだろう」
というと額蔵は首を振って、
「いえ、それだけではないはずです。神宮河の漁猟も、許我への旅行を勧めるのも、どれもあなた様を殺して、その宝刀を奪うために、所領の田園(たはた)を還すことがないように、簸上を婿にする為なのです。このことをどうして知ったのかというと、昨夜の甲夜(よい)の人気の無い間に、伯母君が忍んで、私を閑室に招き寄せて、
『額蔵よ、此度はお前を従者にして、信乃と共に遣わす理由は、一大事を委ねる為なのだ。とても言いがたいことだが、信乃は私の甥ではあるが、思えば過世(すくせ)の讐敵(かたき)なのです。彼は親の横死を怨んで、私の夫を仇として狙い、隙があれば寝首を掻こうと、心に刃を磨くこと常としています。それを知っているのは私だけ。そうはいっても見ていれなくて、血で血を洗うのは家の恥辱、と思い直して楯となって、今日まで無事に過ごしてきましたが、彼が今許我へ赴いて、事が成れば帰ってくるでしょう。するといよいよ、我が夫を怨んで害心がさらに増すにちがいありません。甥を不憫にするわけではありませんが、夫には代え難いのです。よってお前に頼みがあります。旅中で油断しているところを窺って、只一刀で刺し殺しなさい。死骸は手早く埋めて、彼の両刀(ふたこし)を奪い取り、密かに持ってきて私に見せなさい。少しの路銀もあるだろうから、それはお前が取って良い。これらの密事を果たしてくれば、主の翁に勧めて、お前を婿にしようと思っているので、放っていたわけではないのだ、心得でくれ。お前は幼稚(いとけなき)ときから、使い熟(なれ)た、小者なので、とても不憫に思っているのだよ。私はどのような悪報でも、人の伯母なのです。甥を殺すのは夫の為なのです。お前は主人の為ならば、忠義の二字を忘れてはなりません。はじめは背助を遣わそうと思いましたが、仲が悪いお前が信乃に疑われないと考えたのです。お前の他にこの一大事を任せるものはありません。必ず成功させなさい』
と口説き、泣きながら、甘言に利を示して、うまい話をでっちあげ、浅ましいと思いましたが顔色には出さず、
『承知いたしました。犬塚殿には遺恨がこざいます。これまでの鬱憤を晴らそうと思っていましたが、この時がきました。事ならばお嬢様を賜るとまで仰ってくださって、それが偽りでないならば、命をかけても惜しくはございません。仰せの通り果たしてまいります』
と実しやかに承って、伯母御前は大変喜んで、
『そうであれば、お前がいつも腰に帯びた刃は切れ味も心許ないだろう。これは私の父匠作様が護刀にせよと、私に賜った短刀である。桐一文字という名前の鋭刀(きれもの)なので、役に立つだろう。これをお前に貸そう。信乃には訳を話すまでも無く、知ったとしても疑うことはないだろう。人が来ぬ間に、これを持って立ち去れ』
と言われて急がされ、刀の袋の紐を解いて、この短刀を授けられたのです。主人夫婦の謀る所では、あなた様を旅に出すのではありません。ひとえに殺そうとすることにあります。この桐一文字はあなた様の祖父、匠作様の形見でございます。これをご覧下さい」
と差し出すと、信乃は左右の手で受け取って、つくづくと見て額蔵の側に置いて嘆息し、
「祖父は忠義の武士と聞いていた。その娘の私の伯母は、なぜここまで腹黒いのか。両親がいなくなった後、叔伯母(おじおば)こそ頼もしいものはないと世間では言うのに。私のことは、これとは反対だ。仇の家に身を置いて、こうまで執念深く謀られるとは。それを今日まで無事でいたのは、すべてあなたのおかげです。私の父の最期の教訓に、
『わが姉夫婦漸く、志を改めて、実にお前を憐れむのならば、お前もまた真心をもって、仕えて養育の恩義に報いなさい。また、その害心が無くならないのならば、最期には防ぐしか術はない。宝刀を抱いて早く立ち去りなさい。五年七年養われたとしても、お前は大塚氏の嫡孫である。蟇六の職祿は、お前の祖父の賜なのだ。その禄によって、成人しても伯母夫の恩ではない。たとえ報われずに去ったとしても、それを不義とは思わなくてよい。これらの理義をよく考えなさい。』
と言われたことが、今の話に符合する。先見がここまで明らかになると、大人(うし)は凡夫(ぼんぷ)ではありません。九年の同居で衣食も乏しく、所持する田畑を横領されて、私の身に帯びた物しかなく、あの人の禄で食べていただけですから。今にして思えば、これらの事は、身退くのに未練が残らないということです。そしてこの宝刀、幸いに、護って失うことにはなりませんでしたが、何かに嘆いたり、誰かを怨んだりすることがありませんでした。天運はここに循環して、青雲の志を、得るべき時節が到来したのです。請い願わくば、犬川殿、ともに許我へ参りましょう。あなたと私と力をあわせて、かの君を助ければ、両管領も計るに足らないでしょう。何としてもそうしましょう」
と額を合わせて、静かに説き勧めると、額蔵は聞いて沈吟して、
「あなた様の仰ることはもちろんですが、私は少し事情が異なります。前に私の母が亡くなるとき、荘官が残忍で、最も怨まなければと思いましたが、その時は私は童でしたので、なすすべもなく、そのうちにあの家の小者にさせられて、とうとう今日に到りました。しかし一碗の糧、一領の衣のほかに、定めた給銀はありませんでしたので、その恩義は薄い物です。ただ恩義は高くなくても、その家の糧によって、生きていたのは主従の関係があったからです。非義非道には加担してはいませんが、主の密事を引き受けて、それを漏らしてあなた様と共に行けば、私は不義の奴になってしまいます。これでは大丈夫とはいえないでしょう。あなた様は許我へ赴きください。私はこの早朝に、袂を分かったとして大塚へ帰ります。こうすることで、二つの件で利があります。私が非道の主人に背かず、また浜路殿の心構、夕べ思わず立ち聞きして、感心し思う所です。怜悧(さかし)といえども婦人の情、迫られれば不慮の過ちがあるかもしれません。私が密かにこれを助けるよう謀ります。そうすることで、あなた様のことに節婦を捨てるという悪評は立たないでしょう。このように計りに謀った後に、私はあからさまに自身の暇を賜り、主家を辞して許我に参れば、今あなた様の供をして走るより、勝る計画だと思います。よろしいでしょうか」
と囁くと、信乃は頻りに感佩(かんぱい)し、
「その話には理がある。しかしながら、あなたは私を討たずに帰れば必ず禍があるだろう」
と危ぶめば、ニコッと笑い、
「そのことはご安心下さい。私は、手足に少し傷を付けて、浅手を追ったように見せかけて、帰って、犬塚殿を討とうとしたが、力一杯に斬りつけらえて、殺せないどころか、このような傷を負いました、と言って欺けば、主夫婦もどうしようもないでしょう。私にお任せ下さい」
と他事もなく説き示すと、信乃はますます感謝に堪えず、
「たとえ偽物の傷とはいっても、あなたの体に傷つけさせる事は、心苦しい限りだが、拒めば婦人の仁とさせられよう。教えに背くことはできない」
と言うと額蔵はよろこびながら、密談は既に終わり、おのおの衣を被って眠りに就いたのだった。
(その5 ここまで)
(第二十五回 ここまで)
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