南総里見八犬伝 一 第二輯第三巻第十六回 その2 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

 
 その時女子は、一通を巻き納めながら目を拭って、
 
「私が逃げずに道場の留守をしている間に、今夜の厄難、といってもあなた様の身の上に降りかかったのは、お怒りになるのはごもっともです。今は、隠さない方がよろしいでしょう。そもそも私は御坂(みさか)の人氏(じゅうにん)、井丹三直秀(ゐのたんざんなおひで)の娘で、手束(たつか)と呼ばれるものでございます。父直秀は鎌倉殿(持氏)の恩顧の武士でございましたが、持氏朝臣がご滅亡され、両公達は結城城で籠城されたとき、その話を聞いたそのままで御坂をでて、手勢わずかに十数人で、装備して結城に馳せ参じ、合戦が年をかさねて、若君のご武運を開かせることが出来ず、最後の月の十六日に、結城の城が落ちて、名のある人々と一緒に、父直秀も撃たれてしまいました。これはそのときの最期の遺書で、落城の次の日に、家老が持って御坂へ帰ってきたのです。母は去年、むこうの空を眺めながら物思いし、最期には気病みに病んでしまって、命が危ないとき、無常の風の便りで、結城の没落、父の最期、しらせにくる家老さえ、痛手を負って道の疲労によっと、もう生きては行けぬと、腹を切って落命しました。家に仕える奴婢などは、罪人の縁者であることでの咎をおそれて、頼みにも鳴らず、逐電してしまって一人も残っていません。何をするのも私の身ひとつ。看取りをかねて親と子が、空蝉が秋になって鳴く音が弱っていくように、母は本月十一日に、遂に亡くなりました。葬の事なども、わずかに親しい里人等が、好意でその日の夕暮れに、この道場で葬式をしました。昨日は父の初月忌(しょげつき)で、今日は母の初七日なのです。心ばかりの布施をして、昨日も今日も亡き親の墓参りをする毎に、庵主は懇ろに慰めて、少しの間ということで留守を任されて、出て行きました。この部分は、夜の間に、すでにあなた様にお話ししたところですね。この道場を拈華(ねんげ)といい、庵主の法名は蚊牛(ぶんぎゅう)とやらで、あちこちの帰依僧(きえそう)で、わが家も檀越(だんえつ:施主、檀家)なので、すこしも疑うこともなく、請われるままに断りにくくて、庵を守って、一日居りましたが、庵主が帰って後に、少し心あってのせいだと知っておりました。浅ましくもこの法師は、いつの間にか私に思いを寄せて、私を一夜留めようとするために、嘘を言って留守を誂えて、夜更け頃に帰ってきて、私をとらえて、菜刀で脅し、それを打ち下ろして挑むので、その声がさらに大きくなって、いざというときあなた様に疑われて、思わず殺されたのです。これは過去の業因なのでしょう。仏弟子なのに淫(いろ)を貪り、偽りで私を留め、強姦しようとした冥罰(めいばつ:神仏が下す罰)は、たちどころにその身に下されました。とても悲しむべきことではありません。ですので、あなた様に宿をお貸しした事は、庵主には話していませんし、そのことは私しか知りませんし、彼がどのようにして私以外の人がいたのか知ることはできません。貴方自らの思いで、その疑いを晴らしてください。今は私は結城の残党、人の落ち目に目を付けて、捕まえて都へ連れて行けば、逃れる道はありません。人を殺して物を略(と)る、賊婦梵妻といった濡れ衣を着せられるのならば、死んではらしましょう。これで、亡き親の名を汚さずともすむと思えば、命は惜しくはありません。」
 
と言いながら目を押し拭うと、雄々しき乙女の物語に、番作は思わず小膝を打ち、
 
「さてはあなたは井丹三直秀様の息女なのか。今見せてくれた一通に、直秀と読めたが、同名異人がないのであれば、ことの次第を知るまでは、といまだ私の名前を教えていなかった。父は、鎌倉譜第の近臣、大塚匠作三戍の子、番作一戍というのは、私の事だ。両公達に傅いて籠城のはじめからあなたの父と私の父で、共に後門(からめて)を固めていたが、他の事はなく、語らっていた。そして落城の日になって、わずかに思うところがあって、私は父と共に虎口を逃れて両公達の後を追い、樽井まで参り、若君はそこで撃たれてしまい、父の匠作も討ち死にしたのだ。私はその時親の仇、牡蠣崎小二郎というものを撃ち果たし、君父の首級を奪い取り、血戦して死地から脱し、一昼夜に二十数里、遠く遥かに来たところ、三つの頭を埋めようと、思ったときに当寺の墓所を見つけ、ここは好都合と、新葬(あらほとけ)の近くの土を掘り起こし、ひそかに底に埋めてしまい、さて宿を乞おう蚊と思ったのだ。もとより、私は落人だから、吹く風にも心をおいておけばよいのだが、先程の法師の様子では、その理由もよく聞かず、私を害するものだと思ったので、少しも疑問に思わず、気持ちが高ぶってこれを殺してしまったこと、自分の粗忽さを思い知ったが、知らないままあなたの身を救い、謀らずして悪僧を退治できたのは、これは冥罰なのだろう。どう言えばよいのか、あなたの心にあるように、いやにならなければよい話なのだが、籠城の日の直秀様は、我が父に約束していました、
 
 『若君の武運を開かせることが出来れば、東国無異(ぶい:無事)に終われば、私に一人の娘がいまして、ご子息の婦(よめ)にしませんか』
 
 『それは公私の幸いですね、必ず賜ろう』
 
と契りを交わした親は二人とも、本意を遂げずに討ち死にし、その子供らは、死にそうなところを逃れて名乗り合った。無常ではないのは命である。誠に知らなかったことなのに、まし謝って貴方を殺して、後にそれを知ったとしたら、亡き親達へ手を合わせ、何と弁解すればよいのか。危なかった」
 
と人の身上、自分の身上を説き明かすと、真心が言葉に表れていた。
 
(その2 ここまで)