儀同三司母・高階貴子「儀同三司」(ぎどうさんし)は、太政大臣・左大臣・右大臣と同格であるという意。高階貴子は、子の藤原伊周が三司と同格の内大臣となったことで「儀同三司母」(ぎどうさんしのはは)と呼ばれていました。ただ、晩年は・・・995年(長徳元年)、夫の藤原道隆が亡くなると、伊周は叔父の藤原道長と権力争いに敗れ、翌年正月には花山法皇を襲撃して失脚(長徳の変)。貴子は病に倒れ、10月に没しています。☆ ☆ ☆ ☆ ☆