内容がアレつうことで叩かれてますねこのドラマ。
スポンサーを降りる企業なんかも出てきてるそうで。
ちなみにスポンサーを降りる企業に対しての批判ってのはかなり筋違いだと思います。
スポンサーってのは金出す代わりにCMとかで実益を上げなけりゃ企業として成り立たないわけで、世論に叩かれ気味なリスキーな対象に金出して逆に不買運動でもされたらシャレにもならんわけで、危険を感じたなら撤退するってのは別におかしくもなんともない会社の上層部の判断だと思います。
で、ドラマの内容についていろいろ批判が出ています。
基本的にはこういうドラマってのは基本フィクションなわけで、法律にでも触れてない限りは表現の自由とかそういう論点からかなりコアなものでも不問になるのが普通なわけですが、今回のドラマはぶっちゃけちょっとそういう「大人の理屈」で片付けられないものがあります。
だって、ネタが子供じゃないですか。
まだ大人の理屈が通用しない、純粋な年代。でも大人になるころには「理性」によって抑制されるであろう子供独特の残虐性ってものに対してこのドラマは地雷を踏んだんじゃないかなと。
あだ名のつき方、ポストに預けられてたから「ポスト」、母親が鈍器で人を殴ったから「ドンキ」、親がパチンコしてて放置されてたから「パチ」だったかな。このあたり、現実にものすごいありありな感じです。実際私が子供の頃、また予備校生時代でも、汗っかきで夏場にTシャツが汗で濡れてるからって理由で「汗」とか、ムンクの「叫び」の絵が描いたTシャツ着てたから「ムンク」とか、しょうもねえあだ名が定着してる奴がいました。
で、当然現実にこういう環境の子供ってのは多いわけで、このドラマのせいでいじめられたりする子供ってのが「絶対出てくる」わけでね。大人なら相手の環境を気遣うってことができますが、子供はそういうとこ残酷ですから。身体的な欠陥とかも含めて大人なら絶対タブーとわかる領域になんの悪気もなく平気で土足で踏み込んでいきます。
子供ってそういうものなんですから。それは子供を責めることができません。
じゃあ放送中止すりゃいいかっつうと、これまたそう簡単にはいかないわけで。
たしかに内容とか表現がアレだとは言え、純粋にドラマとして、映像作品としての完成度を考えた場合、このドラマで当然心から感動して泣く人もいるだろうし、当然ドラマと現実の乖離した部分をしっかり理解して娯楽作品として楽しめる人だっていっぱいいるだろうし、またこの騒動によって起こった問題に対し、子供たちへの教育の機会になる可能性もある。
また、どっかの記事でこのドラマを見て過去がフラッシュバックして思わずリストカットした若者がいたとかなんとかってのがありました。どこまでホントなのかはわかりませんが、これがもし本当で、かつ同じようなケースが頻発してしまった場合はなんらかの対応が必要になるでしょうね。かつてポケモン見ててんかん起こす人が続出して、アニメのピカピカに対して公式に警鐘が鳴らされたように、あくまで人のために存在する娯楽であるはずのテレビ番組によって人が明確に犠牲になるようなことがあっては本末転倒にも程がありますし。
時代になんらかのうねりを起こしうる事象ってのはだいたい世間には基本受け入れられないとこからはじまるもんですよね。歴史を紐解いてみても、それこそ昔は地球を中心に天が動いていたと本気で信じられていて、それを実際は天じゃなくて地球が動いているんだと主張したガリレオは世間に迫害されました。今でこそ当たり前のことでも、それが当たり前になるためにはそれまでの当たり前を最初に否定する奴がいなければならないわけで、まあドラマと地動説を同列には全然できませんけど根本的なところはたいして変わらないんじゃないかと。
新しくなにかが生まれるときってのは抵抗がキツいもの。
産みの苦しみってのは別にリアルに子供が産まれるときだけじゃないってことでしょうか。
しかも抵抗がキツいからって必ずしも新しいものが生まれるわけでもないってんだから、ホントものを作る人ってのは大変だと思う。
なにげに名言の多い「めだかボックス」このドラマがはたして最後まで放送されんのか、途中で中止されんのか、そして最後になにかを生み出すのか、単に賛否両論な問題作でしたで終わるのか、それは今のとこ全然わかりませんけど、少なくとも世間になにかを投げかけたということだけは確かなようですね。実際問題、こういう国民になんらかを考えさせたというだけでも、個人的にはこのドラマの存在自体は無駄ではなかったと思います。