2026年3月1日 毎日聖書
王の足跡を辿ろう
ヘブル1-13章
ヘブルは、旧約のすべてを成就したのはイエス様!って話。
ここのところ、聖会があったり、〆切仕事があったり、それが終わったら、会おうねと言ってた友人たちと毎日のように会っていた。大学の友達は2ヶ月ぶり、中学の友達は4ヶ月ぶり、近所のママ友は1年ぶり、別の大学の友達はなんと10年以上ぶり。互いの話は尽きることなく、ちらりとイエス様話もしながら、「もう一軒」とカフェのはしごをしたりして。楽しくも、忙しい日々を過ごしていた
そんな中でささげた礼拝。心を込めて賛美したけれど、メッセージが始まったとき、前はもっと切なる心で深くささげていた気がして、イエス様に「助けてください」と祈った
すると、助けてくださった
気付かされたことは、こんなこと。最近、私はいろんなことに関心があって、たくさんのことを読んだり聞いたりしていた。そういう情報は、知的好奇心を満たしてくれるけど、心の表面をいっぱいにする。時に、そのことがイエス様との深い出会いを遠ざける。私たちが肉に流れるなら、イエス様の声が聞こえにくくなってしまうのだ。だから主は言われる。「イエスのことを考えなさい(ヘブル3:1)」アーメン!それで、イエス様に出会うための集中を追求したいという思いが与えられた
「語っている方を拒まないように(ヘブル12:25)」。耳を澄ませることができるように。
私の心に再び、わくわくがやってきた。ああ、こんな風に私の心を集めて、イエス様はどんな風に出会ってくださるんだろう
心があれやこれやと広がってしまう者に、イエス様が十字架で流された血潮を注がれる。「キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。(へブル9:14)」ああ、この世界におもしろいものがどんなにあったとしても、どんなに美しく素晴らしいものがあったとしても、それは私たちを「生ける神に仕える者にする」ことはできない。ああ、それは本当にイエス様の中にしかないもの。
私たちがみことばを聞くとき、イエス様ご自身が御霊によって私たちの心をつかみ、魅了してしまう。そうして、イエス様を知る喜びを、私たちの心に敷き詰められる。それが私たちの力となって、生活すべてを満たしていく。
礼拝が終わる頃には、散らばっていた私の思いが束ねられ、「朽ちることのない、いのちの力に(ヘブル7:16)」つなげられた。ああ、みことばは力
私たちの中の価値観も、主の御手にかかれば、美しく再編成されるのだ。すべてをなさるイエス様にハレルヤ〜

私はイエス様のもの
イエス様は私のもの
今日も王と生きよう
Reading the Bible is not about checking a box; it’s about meeting the King who is speaking.
