2024年8月27-28日  聖書通読 36-37日目
みことばで神様と交わろうニコニコ  
 
ゼパニヤ1-3、ハガイ1-2章

物事がうまく行っているとき、自分の中の罪は息を潜め隠れているzzz

ところが、主が事を起こされるとき、人やあらゆる出来事を用いて、私を揺り動かされるとき、知らない現実が深い底から現れる。それは私のうちに埋もれている、自分も知らない怒りや悲しみ、失望、究極の自己中心性ピリピリ

そして、それが現れるようにすることは主のみこころなのだびっくりハッ

主は美しく楽しく素晴らしいことも体験させてくれる。しかし、ときに、私の愚かさや弱さ、醜さを見させ、体験させる。そう導くのは聖霊雷。「真理の御霊(ヨハネ14:17)」「助け主(ヨハネ14:16)」。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて(ヨハネ16:8)」正確に教えてくれる。そのようにして、聖霊は何をしているかキョロキョロ?聖霊の働きは突き詰めればただ一つ。それは主イエスキリストを証しすること。聖霊はすなわちイエスの御霊(使徒16:7)」。「御子を私のうちに啓示(ガラテヤ1:16)」してくださる方炎

自分がどんなに主を熱く愛しても、物事にどんなに誠実に取り組んでも、思い通りにならないいろんなことが重なって、からだも心も疲弊しきって究極のところまで来ると、自分を理性でコントロールできなくなるチュー。半ばやけくそ気味な気持ちも含みつつ「ご自由にしてください」と祈る私に、主は私の心の深いところの扉を開くようにして、隠れていた自分の罪の暗い部分を見せてくださった

自分の生活や物事が乱雑になっているのを前に「じゃあいいです、自分でやります」と自分でやろうとする心。それは結局、主に背を向ける、主への反抗心だった。その心の動きが、私はあまりにもショックだったえーん

主を愛し、主に夢中の自分の根底に、そのような神への反逆があるのを見たのだ。自分から主を見限っていくような尊大さ、ああ、なんということだろう、そんなものが自分にあるとはえーん愕然としてしばらく苦しんだ。

これこそが罪の根。人は自分の本当の姿を見るなら、絶望するしかない。それが罪人。神の幻を見て「何日かの間 病気になったままでいた(ダニエル8:27)」ダニエルを思い出す。

このような体験が聖霊によるものだと分かっていたから、ただ主に、そのような罪を告白したえーん。何日かの間、つらいときが続いたけれど、どこかでかすかにわたしがあなたを助ける」と言われていた雷それゆえ、わたしを待て。──主のことば──わたしが証人として立つ日を待て(ゼパニヤ3:8)」

私たちが罪を告白するとき、罪人を愛するために来られた主イエスキリストが駆け寄られる。取税人に遊女に親しく近づいて行かれたように、私にも近づかれたえーん。そして、くださったのは慰め。主の慰めが、世の慰めと全く違う種類のものであることを体験した。

主の慰めは罪の赦しであり、永遠の慰め。その罪のために私は死んだのだ、あなたは赦されていると断言してくださる慰め。永遠の解放。主が私のうちに主の愛を、主の義を注いでくださるハート

(友人Eがくれたラベンダーオイルの香りにも慰められるニコニコ飛び出すハート)


──主のことば──わたしはあなたを選んで印章とする。わたしがあなたを選んだからだ。──万軍の主のことば。(ハガイ2:23)

ああ、主よ、イエス様、心から愛します。ハレルヤ爆笑!!

私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろうハート

Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!