元ベンチャーCFO日記 -8ページ目

新閣僚

最近、色々あり、久しぶりのブログ。



昨日、鳩山総理の下、新閣僚の顔ぶれが決まる。


唯一気になったのは、亀井静香。


「国民新党」などと名乗っているが、彼の醸し出す雰囲気は、


旧い自民党の政治家臭。


「モラトリアム」ということで、企業の融資返済を一時的に凍結


できるようにする施策を推し進めようとしているらしい。


金融機関の味方をするつもりはないし、確かに、借り手側から


見れば助かる話だが、リスクを金融機関に過度に負わせる、


誤った政策だと思う。


政策も止めて欲しいし、亀井氏も辞めて欲しい。

「名選手名監督にあらず」

前回に続いて、人事に関する話です。



よくプロスポーツの世界では、「名選手名監督にあらず」という


ことを言います。


実は、私は、大学を出て会社組織で働き始めるようになり、


同じように思うことがありました。


それは、「名プレイヤー名マネージャーにあらず」です。


それでも、新卒で入った銀行は、年功序列の人事制度であり、


マネージャーとしての資質の優劣は別にして、ある程度の


年次にならないとある程度のポジションには人事システム上、


就けない(就くことは無い)という世界でしたので、


余り強くは思いませんでしたが、2社目でベンチャー企業に


転職してから強く思うようになりました。


特にその会社は、いわゆる「営業系」の会社で、


営業面で数字を出した人間が組織の上に行く傾向にあった


ことも理由の一因かと思います。



「名選手名監督にあらず」の代名詞として、巨人の長島元監督


が挙げられることが多いかと思います。


彼の場合、監督としての戦跡を見ると、監督として全く駄目だった


わけではないように私は思っていますが、それでも現役時代の


輝きに比べると、監督としての手腕については、野球ファンの


間では疑問視されているように思います。



名選手が名監督でないとされる理由は、端的に言うと、


「自分は天才だから出来た」

「だから、普通の人が出来ない理由が分からない」

「分からないから指導できない」


というロジックかと思います。


このロジックが、ビジネスマンの世界にも通じるものがあると


私は思っていまして、努力で能力を開花した人(勿論、ほとんど


全ての人は、何らかの努力をしていることと思いますが、)


は別ですが、案外、営業の仕事というのは、経験よりも、


先天的な向き不向きの色合いが濃い職種だと思っています。


実際、大学を出たばかりの社員が、一躍、その会社の


トップセールスマンに躍り出る、ということは、よくある話だと


思います。


そして、そういうスーパースタープレイヤーが、プレイヤーとして


の圧倒的な成績のおかげで、マネージャーとしての適性について


語られること無く、組織内で昇格してしまうと、不幸になるケースが


ままあるように思います。


つまり、どういうことかと言うと、生まれもって他の人よりも上手く


出来てしまう人で、その人が「上手く出来る理由」をきちんと把握


できていれば全く問題ないのですが、把握できていない人が、


プレイヤーとしての実績を評価され、組織の上に進んでいくと、


組織として、そしてその人にとっても不幸が始まるということです。



一般論として、日本の会社は、歳とともにプレイヤーから


マネージャーに移り、会社組織における肩書きもつき、


給料も上がっていく、という形です。


先述の銀行のような会社は、まさしくそうです。


最近は、営業に限らず、スペシャリスト志向の人については、


あえてマネジメントをさせず、プレイヤーとして、特定の業務


に関して突出した成果を期待する替わりに、高い給料を用意


する会社も出てきたように見受けていますが、まだまだ


レアケースだと思います。




最後に一つ。


「名選手名監督にあらず」の裏返しで、「選手としては三流、


でも名監督」という場合もあり、日本のプロスポーツの世界では


余り見かけませんが、メジャーリーグの監督の経歴を見ていると


それに近いケースが多数見受けられるかと思います。


これも、ビジネスの世界にも通じるものがあると思っており、


「プレイシャーとしては三流、でも名マネージャー」というケースが


あると思います。


ただ、その場合に必要だと思うことがあり、「何らかの成功体験」


「何らかの強い信念」がないと、プレイヤーとしての成績が


平凡な人が、マネージャとして真に活躍することは難しく、


また現実問題、マネージャーとして抜擢されるチャンスも


回ってこないと思っています。



結局のところ、身も蓋も無い結論ですが、、会社経営としては、

本人の資質、適性に合わせて、人を配置するのが、


理想の組織作りだと思っています。

人事考課

久しぶりに(?)ベンチャーCFOっぽいことを書きます。


当社は7月が新年度ですので、若干予定より遅れているのですが、


昨年度の人事考課を行っています。



人事考課で思うのは、どうしても 自己評価>他己評価(上司)


という人が存在するということ。


そういう人は、えてして会社に対する不満分子になりがちで、


不満を前向きなエネルギーに変えて貰えるのであれば、


いつの日か、 自己評価=他己評価、もしくは、自己評価<他己評価


になるのですが、不満を内に抱えるような人は、仕事の出来栄えも悪く、


ますます評価の乖離が進む、という悪循環に陥ります。



話がそれますが、先日、読んだソフトブレーン宋会長のメルマガで


「モチベーションは上げて貰うものではない」という話を読みました。


*ちなみに、最近、そのようなテーマで本を出されているようです。


私自身、若い頃は、よく「モチベーションが…」ということで、


モチベーションの高低を理由に、仕事への力の注ぎのばらつきに


ついて言い訳をしていたように思います。


今思えば、恥ずかしい話で、宋会長も同じようなことを書いていましたが、


モチベーションは他人に上げて貰うものではなく、ビジネスマンは


会社や上司にそれを期待してはいけないと思います。


勿論、セクハラやパワハラなど理不尽ないじめは論外であり、


上司は、部下への接し方には、最低限気を使うべきですが、


部下の仕事へのモチベーションは、本来的に部下自身が、


高いレベルに置くよう努めるものであると思っています。



話を戻します。


幸か不幸か、当社においては、「不満を内に抱える」ような社員は、


当社を去りました。


従いまして、現在いるメンバー、少なくとも私が接している社員に


関しては、自分を客観視し、適切な評価を下せている社員ばかり


のように思っています。


無論、自己評価が適切であることと、期待に応えているかどうかは、


別問題でありますが(苦笑)



前期から今期にかけて、会社としては、苦しい時期が続いています。


ついてきている社員に対しては、誠心誠意応えてあげたいと


思っています。