「名選手名監督にあらず」 | 元ベンチャーCFO日記

「名選手名監督にあらず」

前回に続いて、人事に関する話です。



よくプロスポーツの世界では、「名選手名監督にあらず」という


ことを言います。


実は、私は、大学を出て会社組織で働き始めるようになり、


同じように思うことがありました。


それは、「名プレイヤー名マネージャーにあらず」です。


それでも、新卒で入った銀行は、年功序列の人事制度であり、


マネージャーとしての資質の優劣は別にして、ある程度の


年次にならないとある程度のポジションには人事システム上、


就けない(就くことは無い)という世界でしたので、


余り強くは思いませんでしたが、2社目でベンチャー企業に


転職してから強く思うようになりました。


特にその会社は、いわゆる「営業系」の会社で、


営業面で数字を出した人間が組織の上に行く傾向にあった


ことも理由の一因かと思います。



「名選手名監督にあらず」の代名詞として、巨人の長島元監督


が挙げられることが多いかと思います。


彼の場合、監督としての戦跡を見ると、監督として全く駄目だった


わけではないように私は思っていますが、それでも現役時代の


輝きに比べると、監督としての手腕については、野球ファンの


間では疑問視されているように思います。



名選手が名監督でないとされる理由は、端的に言うと、


「自分は天才だから出来た」

「だから、普通の人が出来ない理由が分からない」

「分からないから指導できない」


というロジックかと思います。


このロジックが、ビジネスマンの世界にも通じるものがあると


私は思っていまして、努力で能力を開花した人(勿論、ほとんど


全ての人は、何らかの努力をしていることと思いますが、)


は別ですが、案外、営業の仕事というのは、経験よりも、


先天的な向き不向きの色合いが濃い職種だと思っています。


実際、大学を出たばかりの社員が、一躍、その会社の


トップセールスマンに躍り出る、ということは、よくある話だと


思います。


そして、そういうスーパースタープレイヤーが、プレイヤーとして


の圧倒的な成績のおかげで、マネージャーとしての適性について


語られること無く、組織内で昇格してしまうと、不幸になるケースが


ままあるように思います。


つまり、どういうことかと言うと、生まれもって他の人よりも上手く


出来てしまう人で、その人が「上手く出来る理由」をきちんと把握


できていれば全く問題ないのですが、把握できていない人が、


プレイヤーとしての実績を評価され、組織の上に進んでいくと、


組織として、そしてその人にとっても不幸が始まるということです。



一般論として、日本の会社は、歳とともにプレイヤーから


マネージャーに移り、会社組織における肩書きもつき、


給料も上がっていく、という形です。


先述の銀行のような会社は、まさしくそうです。


最近は、営業に限らず、スペシャリスト志向の人については、


あえてマネジメントをさせず、プレイヤーとして、特定の業務


に関して突出した成果を期待する替わりに、高い給料を用意


する会社も出てきたように見受けていますが、まだまだ


レアケースだと思います。




最後に一つ。


「名選手名監督にあらず」の裏返しで、「選手としては三流、


でも名監督」という場合もあり、日本のプロスポーツの世界では


余り見かけませんが、メジャーリーグの監督の経歴を見ていると


それに近いケースが多数見受けられるかと思います。


これも、ビジネスの世界にも通じるものがあると思っており、


「プレイシャーとしては三流、でも名マネージャー」というケースが


あると思います。


ただ、その場合に必要だと思うことがあり、「何らかの成功体験」


「何らかの強い信念」がないと、プレイヤーとしての成績が


平凡な人が、マネージャとして真に活躍することは難しく、


また現実問題、マネージャーとして抜擢されるチャンスも


回ってこないと思っています。



結局のところ、身も蓋も無い結論ですが、、会社経営としては、

本人の資質、適性に合わせて、人を配置するのが、


理想の組織作りだと思っています。