地元の誇り | 明石市、加古川市の放課後等デイサービス、児童発達、障害者施設、兵庫明石高等学院の波の家福祉会理事長ブログ

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兵庫県 明石市・加古郡播磨町にあります、大久保駅前保育所・波の家・アスペ 波の家こどもセンター 理事長 のブログです

「刑務所が無料の老人ホーム化」「刑務官は廃墟のような家に…」 杉良太郎が64年間、刑務所改革に取り組み続ける理由(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/58cf4b8bc6a083ce1fd4d0fc0daa0f65e90d3d1a


実は、僕の生まれ育った町(この方の父方か母方がそうで、その後、隣町に移り住んだと僕は聞いてる)の偉大な先輩なんだよね。

わかる人にはわかると思う。

神戸のあの近辺の人ならすぐに思い浮かぶ町。

僕の生まれ育った町の特殊な背景。


差別と、貧困と、特殊なアイデンティティが混ざりあい、当時は今では考えられないだろうと思うけど、中学や高校の通学路に普通に暴力団事務所が、デカデカと、菱形のマークの看板を上げて、当時ワルと呼ばれた同級生を強面のお兄さんがスカウトしてたわ。

さらに、当時は普通に言っていた朝鮮部落(今では差別用語なので、書こうかどうか迷ったけど、実際に当時は、本当にみんなそう言ってた)の中でも、北の朝鮮総連と、南の大韓民国連がいがみあってた。


実際、僕の同級生の中にも、今では考えられないだろうけど、常に指紋捺印、採取と外国人登録書を持ち歩かなければならない。

もし、持ってなければ、フツーに職質で警察に連れてかれる。

実際、中学生がちょっと、部活帰りに、夜遅くに近くの公園でだべってただけなのに、僕たちは生徒証の確認だけ、でも、彼だけはフツーに警察に連れてかれた。




さらに、基本、当時の日本国は北朝鮮と国交もなければ、国として認めてなかったので(今もか?)、例え、日本で生まれ育った日本人なんだけど、北出身の在日と言われる同級生でも、日本国で進学したり、働こうと思うなら、南(韓国籍)を選択しなければ、その先が本当にないんだ。彼らは本当に自分のアイデンティティをわずか10代の時に決めさせられる。


小学校の高学年の時に仲良くしてた奴がいて、彼はいわゆる在日、それも北の方。

当時、両親が共働きだった僕は、度々、彼の家で夕ごはんをごちそうになって、本当によくしてもらった。 

今では当たり前のようにあるキムチなんて、当時の日本では、あるわけもなく、そいつの家で自家製キムチをたべさせてもらったのが、初めての体験。


ちなみに、詳細は言えないけど、彼は大きな事件にまきこまれ、早くして命を落とした。


そんな地域から、10代の頃から、78歳になっても、何十年立っても、かっこよくて、どんなに、売名行為やなんやかんやと言われても徹頭徹尾、社会貢献活動をし続ける、杉良太郎さんは、僕にとっては、地元のヒーローなんだ。


東日本大震災直後、自ら物資やトラックを手配し、ボランティア活動する、杉良太郎さんに、マスゴミが、「今回も売名行為なんじゃないですか?」有り得ない質問に、杉良太郎さんは、怒る事も、顔色一つ変える事もなく、冷静に、言い放った言葉 

「はい。その通り売名行為です。私は今までも、この先も、これからも、何十億のお金をかけてでも、一生、売名行為を続けます」 

その、いさぎよさにシンプルにカッコいいと思った。