調査日誌237日目(通算1121日目) -昭和3年の浪江町域の学校・教員⑱ 大和田好中- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

024年6月26日。

 

西村慎太郎です。

浪江町域の近代の先生について、昭和3年(1928)福島県教育新聞社編『福島県教育名鑑』(福島県教育新聞社、1928年)から検証しています🤩

 

今回は大和田好中です。

 

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大和田好中

 雙葉郡浪江町(明二六生)

勲八等福浦校訓導農業主任。實業補習學校教員養成所卒業栃木縣清洲浪江苅野大堀訓導龍野助教諭岩根訓導赤津助教諭福浦訓導に歴任せり。大正八年十二月戦功に依り勲八等瑞寶章金百三十圓下賜せらる

 

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大和田好中は、明治26年(1893)に浪江町に生まれました。福島県立実業補習学校養成所を卒業しました。福島県立実業補習学校教員養成所とは、大正9年(1921)に設立された福島大学の前身です。栃木県清洲小学校(現在の鹿沼市清洲)の訓導(小学校教諭)を務め、さらに浪江・苅野・大堀小学校の訓導を勤めました。県外の訓導を勤めるというルートもあるんですね。

 

また、龍野小学校助教諭、岩根小学校訓導、赤津小学校助教諭、福浦小学校訓導にも就いてします。助教諭とは、臨時教員で、先生の業務を補助する職員のこと。あちこちで先生を勤めている人物ですね。

 

大正8年(1919)12月に戦功があり、勲八等瑞宝章と金130円を下賜されました。このタイミングでどのような戦功があったか判然としませんが、第一次世界大戦下のシベリア出兵とかでしょうか。