調査日誌189日目 -室原の滝①- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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2024年5月8日。

 

昨日、たまたま朝日新聞の記事のデータベース「朝日新聞クロスサーチ」で浪江のことを検索していたら、明治38年(1905)10月20日付の「東京朝日新聞」6面に「放蕩学生滝に投ず」という記事がありました。浪江町の19歳の男性が「去る十六日刈野村字室原の滝壺に身を投じて死せり」という記事です。

 

「室原の滝壺」については存在は知っていたのですが、どのような場所なのか、まだ行ったことがないので、『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)より「室原の滝壺」の記述を見てみたいと思います。適宜、読点を付したいと思います。

 

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室原瀑布〈高六丈余、広八間余、水底十六尋余〉、自室原里在西山半里許、

或云、川室原之而、滝属立野、昔時竜燈自此滝上立野滝光精舎、故為立埜瀑、今称之、曰室原瀑、深山幽谷岩石滑、奔流雷響山谷、碧潭染藍、蕭然殆非人境、可驚可愛佳境也、滝左右巌聳、自北方直下、断岸数丈不堪臨、其南高山有葉山神祠、

 

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簡単に現代語訳を。

 

「室原の滝壺」ですが、幕末の『奥相志』編さん段階では「室原瀑布」と称されていました。「瀑布」は滝のことです。規模ですが、高さは6丈余(約18メートル余)、幅は8間余(約14.5メートル)、滝壺は16尋余(約29メートル)。かなり滝壺が深いですね!! 場所は室原の人里から西の山へ半里ほど(約2キロメートル)。

 

「室原瀑布」は、川は室原川にあって、滝は立野に属していたとも言われており、昔は竜燈がこの滝の上に存在していて、立野竜光精舎があったそうです。そこで「立野瀑」と言われていました。『奥相志』編纂段階では「室原瀑」と称しています。

 

深山幽谷で、岩石が立ち並んでおり、強い流れが雷のように山谷に響いていました。深く青々として藍色のように染められて、ひっそりとし、ほとんど人が住んでいるとは思えない、驚くべき愛すべき素晴らしい景色です。

 

滝の左右には巌がそびえており、北の方より直下して、断崖が数丈に及んでいるので、臨むことができない。南側の高い山に葉山神祠が鎮座しています。

 

以上が「室原瀑布」の前半部分です。