調査日誌159日目 -北幾世橋村北原御殿について③- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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2024年4月8日。

 

『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記載された北幾世橋村に存在した北原御殿について見ています。北原御殿とは、江戸時代の藩主である相馬昌胤が泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に居を構えた隠居所のことです。

 

かなり長文なので、何回かに分けます。適宜、読点を付します。

 

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常敬崇神祇、尊信佛乗、乃托神祇上卜部兼敬卿、稟宗源三檀秘璽、又謁信知寅載上人、承蓮宗奥旨、誓受課佛、或受瑜伽秘法於台嶺金剛院円如僧正、修諸尊供儀、嘗脩虚空蔵求聞持法五旬、至散日行赦、充慶讃、或修造神祠、建立佛寺、見寄附腴田者亦不少也、

 

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意訳してみたいと思います。

北原御殿を建てた相馬昌胤は神を崇敬し、仏を尊んでいました。吉田神道を継承した公家の吉田(卜部)兼敬卿に「宗源三檀の秘璽」を依頼しました。「宗源三檀」とは、吉田神道における祈禱の行事のことですよね。國學院大學博物館の常設展で展示されていたと思います。

 
また、信知寅載上人に謁して、浄土宗(「蓮宗」)の奥旨を受けました。信知寅載上人が興仁寺の開山をした人物で、興仁寺は北幾世橋村に建立された寺院です。
 
また、天台宗の比叡山金剛院円如僧正から瑜伽秘法を受けて、虚空蔵求聞持法を修めました。このあたりの仏教的なところはよく分からないんですが、仏教史や仏教思想史の側面からも相馬昌胤を検討し得る研究素材ということと評価したいと思います。
 
相馬昌胤は神社や寺院を建立し、その知行地を与えました。これがさらに藩財政を圧迫していくんですがww