調査日誌158日目 -北幾世橋村北原御殿について②- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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2024年4月7日。

 

前回から『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記載された北幾世橋村に存在した北原御殿について見ています。北原御殿とは、江戸時代の藩主である相馬昌胤が泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に居を構えた隠居所のことです。

 

かなり長文なので、何回かに分けます。適宜、読点を付します。

 

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同(元禄14年4月:引用者註)十五日解驂守泉田〈旧大聖寺山也、移安楽寺于雑賀町、徒大聖寺於其跡、自去年営作至今月、就今日吉辰公移徒新殿〉、後吟風嘯月優遊自適、府君乗文兼武、多林豊藝、素長軍旅之事、嘗師大江本立軒政常、最善和歌、受業於中院内大臣通茂卿、凡至絲管演史衆技無不貫綜焉、

 

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意訳してみたいと思います。

元禄14年(1701)4月15日、隠居した相馬昌胤公は泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に馬を降りました。ここはもともと大聖寺の山で、安楽寺を雑賀町に遷して、そのあとに大聖寺が遷りました。去年より御殿の普請に取り掛かって今月に至って完成し、今日のめでたい日に昌胤公は新御殿に移りました。

 

のちに昌胤公は風を吟じて月を詠んで、悠々自適に過ごしました。文をこなして武を兼ね、多才多芸、もとより戦さには長じていました。かつて大江本立軒政常を師として、中院内大臣通茂卿に学び、およそ管弦や謡など貫いていないものはありませんでした。

 

ここに登場する中院通茂は「いくよはし」の和歌を詠んだ江戸時代の公家。公家について知りたい方は拙著をお読みください🤩(宣伝) Amazonで購入できます。

 

 

あと、昌胤の師として登場する大江本立軒政常、何者でしょうか?? 

どうにも判然としません。。。😅