調査日誌(勉強中)84日目 -「東部海岸筋に重鎮たる」常盤今朝吉- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2021年6月4日。

 

さて、浪江町権現堂、

大字権現堂について勉強中の西村慎太郎です😊

 

前回は丈六公園の歌を詠んだ常盤芳秀について述べました。この常盤芳秀、市川大祐さんの「明治期福島県における肥料流通 -県内肥料流通の数量的検討-」(『季刊北海学園大学経済論集』60-3、2012年)に「浪江の沢井屋・常盤(常盤芳秀)」と見えると述べました(92頁)。

沢井屋といえば、福島県教育会双葉部会編纂『双葉郡誌』(児童新聞社、1909年)の広告には常盤今朝吉と記されていますので、今回はこの常盤今朝吉がどのような人物か確認してみたいと思います。

 

 

精米業・肥料商・牧畜家・養鶏家・菓子商として「東部海岸筋に重鎮たる」と評された常盤今朝吉は明治12年(1879)12月12日に権現堂字新町30番地に誕生しました。浪江高等小学校、さらには補習科を卒業しました。「常に学を好みて、蛍雪の独学を積み」と評されています。

最初に菓子商を営んでいた折、浪江に精米所を経営している家がないことに目を付けて、5馬力(1馬力=750ワット)の石油発動機による浪江精米所を設立しました。次いで、多くの乳牛を購入して、浪江牛乳搾取所を開きました。さらには当該地域の農業振興のために肥料営業部を設置して、施肥の奨励を行います。具体的には紫雲英栽培を勧めるもので、岐阜県本巣郡中牧村(牛牧村の誤りと思われます。現在の岐阜県瑞穂市)の養本社の特約店として、種子を購入しました。なお、養本社は現在でも紫雲英販売を行っていて、近年ではマンゴーやドラゴンフルーツの生産・販売も行っています。

株式会社養本社

 

また、肥料としては東京深川区村林栄助の村林商店とも契約し、双葉郡における一手販売に至っています。明治44年10月、次なる事業として月2回の養鶏市場を開きます、ニワトリは東京渋谷の尾崎兄弟飼禽所から入手していました。
 
以上が太田桜洲『福島県東海岸之人物』における常盤今朝吉の記述です。ここで福島県における紫雲英肥料について確認しておきたいと思います。福島県農業史編纂委員会編『福島県農業史 3 各論Ⅰ』(福島県、1985年)831頁~832頁には県内の自給肥料の様相が記されています。紫雲英が県内に持ち込まれたのは古く、宝暦年間(1751~1764)に安藤氏が磐城平藩に入封した際、美濃から持って来て、馬糧に用いたことに由来するようです(典拠は草野泰吉「福島県平町附近に於ける紫雲英栽培の沿革」『国本培養』18、1928年)。
相双地域では寛政年間に松平定信がもたらしたとされています(典拠は田中温「福島県における紫雲英栽培沿革」『福島県緑肥普及会報』8、1953年)。どのような契機で定信がもたらしたのか、あるいは伝承なのかもしれないのですが、今後検証してみたいと思います。
明治時代になってからは金肥を抑えて土壌を肥沃にする「コヤシ草」として栽培されるようになりました。