調査日誌(勉強中)85日目 -常盤今朝吉を踏まえて肥料流通研究の先行研究と課題- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2021年6月5日。

 

さて、浪江町権現堂、

大字権現堂について勉強中の西村慎太郎です😊

 

前回は浪江町の肥料商・常盤今朝吉について記しました。浪江町のみならず、双葉郡内の農業にとって重要な意味を持ったものと思いますが、そもそもこのあたりの肥料流通については十分に知らないことに気が付き、ここ数日間、いろいろな論文やら『福島県農業史』やらを読んでいます。

そこで今回はこの地域の近代肥料流通研究の先行研究と課題についてまとめておきたいと思います。

 

まず肥料流通研究として重要なのが、『福島県農業史 3 各論Ⅰ』(福島県、1985年)「第五編 農業資材の変遷」「第二章 肥料の発達」(825頁~844頁)です。近世から明治10年台の肥料として次のようなものが挙げられています。

 

・金肥:干鰯・油粕

・内肥:灰・煤・海藻・河藻

・地肥:焼土・ドブ泥・墻壁を砕いたもの

・水肥:糞尿・魚鳥宰割の賦水(内容確認中)

・荒肥:山柴・馬糞・厩肥

 

金肥を除いた「自給肥料」が目立ちますが、これらはさらに分けると、①人糞尿、②緑肥(紫雲英・青刈大豆・ザートイッケン・ヘヤリベッチ)、③堆厩肥となります。前回のブログで記しました常盤今朝吉は紫雲英普及に大きな役割を果たしました。

調査日誌(勉強中)84日目 -「東部海岸筋に重鎮たる」常盤今朝吉-

 
一方で、金肥を含む「購入肥料」について、前回・前々回のブログで紹介した市川大祐さんの「明治期福島県における肥料流通 -県内肥料流通の数量的検討-」(『季刊北海学園大学経済論集』60-3、2012年)で詳述されています。市川氏の近代肥料流通研究はもともと茨城県や千葉県をフィールドとしていました。以下のような先行蓄積が確認できます。
 
・「幹線鉄道網整備と肥料流通網の形成 ―茨城県における肥料流通―」(老川慶喜・大豆生田稔編『商品流通と東京市場』日本経済評論社、2000年)
・「明治期人造肥料特約販売網の成立と展開 ―茨城県・千葉県地域の事例―」(『土地制度史学』173、2001年)
・「新興養蚕地域における地主肥料商の経営展開 ―茨城県結城郡廣江嘉平家の事例 ―」(佐々木寛司編『国民国家形成期の地域社会 ―近代茨城地域史の諸相―』岩田書院、2004年)
・「農業技術普及と勧業政策 ―茨城県の場合 ―」(高村直助編『明治前期の日本経済 ―資本主義への道 ―』日本経済評論社、2004年)
 
市川氏によれば、肥料消費の問題を考えるには、当該地域の農業構造を把握する必要があり、肥料の輸送インフラがどのように整備されているか、肥料商による販路がどのようになっているか、農家自体が技術をどの程度享受するかといった多角的な視角の必要性を指摘します。茨城県の場合、燐酸を必要とする土壌であったため、県の勧農政策と篤農家の積極導入と相俟って、購入肥料である過燐酸石灰が大量に消費されるようになっていったと述べています。東北地方全般では、こうした購入肥料が投入されることが少なかったのですが、福島県の場合、隣県の栃木・茨城県と類似の傾向を示しています。
 
双葉郡においては明治時代後半から過燐酸石灰の販売が伸びて行っています。この地域に過燐酸石灰が導入されるようになった契機は安積郡対面ヶ原(現在の郡山市熱海町)の開墾に来た久留米藩士のうち、明治20年代に苅野村立野原(現在の浪江町立野原)に移住した長浜家によると言われています。当該地域における過燐酸石灰の利用はかなり早い段階であったものと思われます。
 
浪江町の肥料商として市川論文に掲げられているのが、上田善治郎・郡豊太郎・常盤芳秀です。このうち、郡豊太郎・常盤芳秀は明治34年(1901)創業。郡豊太郎は大阪硫曹株式会社の特約店として小売を行い、常盤芳秀は東京人造株式会社の特約店として、卸と小売を手掛けていました。ぞれぞれで販路が異なっており、肥料をめぐる競争があったものと推測されます。なお、肥料商としての両店開業には常磐線開通という大都市部からの輸送手段の確立が大きかったものと思われます。また、内陸部への販売の様相はどうなっていのか、このあたりも研究課題として重要な点でしょう。
 
ところで、市川論文に、常盤芳秀について「人造肥料販売に特化した肥料商」(91頁)と評していますが、これは大豆粕などの購入肥料を取り扱っていなかったことに由来するものと思われます。前回のブログでも記しましたとおり、紫雲英の奨励を積極的に行っていることから、この地域の肥料流通や利用にはこのような自給肥料としての紫雲英種子購入なども踏まえた研究が課題として遺されているものと思われます。