教員を目指すことにして最初に、
まずは非常勤講師と臨時任用講師の登録をしようと考え、
面接を受けた。
就活の時もそうだったけど、面接のときはいつもこう考える。
良くでもなく、謙虚すぎでもなく、等身大の自分を伝えよう。
ただ、その自分を少ない時間で面接官にしっかりと伝えなくてはいけないので、
より明確に考えを整理したり、研ぎ澄ましたりする。
身も引き締まって、気が高まる感じだ。
履歴書を書くにも正座して、背筋を正して気合を入れて書く。
伝えようとする相手がいると、自分の考えが整理される。
教師を目指そうと思うに至った理由は話せばとても長いんだけど、
今の理由を簡潔に言うとこうだ。
「思いやりと協力する心を伝えたいから」
私自身が”思いやり”とか”協力する”ってことを存分に出来るわけではないけど、
いろんな人と出会って、自分のことを思いやってもらっていることに気づいたり、
仲間と繋がって、協力しながらイベントを作り上げたり、
そもそもただの一人で生きてるわけじゃないってことを実感して感謝が生まれたり、
私の27年間の人生を過ごしてきた中で、
一番大事なんじゃないかと思うのがその二つだからだ。
もともと教師になりたい気持ちはあったけど、
両親が教員である私は、良くも悪くも二人の背中を見て育ってきたから、
教師とは、並大抵じゃない大変な職業だと思っている。
教員生活約30年目の両親は未だに仕事漬けの日々。
誰でも出来ることではないと思うからここまで続けてきていることを本当にすごいと思う。
教育実習のとき、苦労しつつも素敵な体験をたくさん出来て夢を膨らませていた私に母は、
「下手にいい経験しちゃうと夢見ちゃうかいけないのよね。現実そんなに甘くないよ。」
という言葉をくれた。
この言葉は未だにかなり印象に残っているけど、お母さんの”愛情”と”現実”だと思っている。
でもその言葉をもらう前から、教師になるとしても
学校の世界だけしか知らないまま教師にはなりたくないという気持ちが私にはずっとあった。
「学校社会の常識は一般社会の非常識」
という印象があるのだ。
社会にこどもたちを送り出すのには、自分が社会を知っておきたいと思った。
少しでもいろんな世界をみておきたいと思った。
それに、両親の背中を見てきて、
「やりたい!」
というだけでなってはいけない職業だと思っていた。
本当にどれだけの責任があるか・・・、想像すると計り知れない。それを背負える覚悟があるか確かめるために
一度社会に出て、それでもやりたければやれば良いかな、なんて考えていた。
社会人をやっている間この考えを人に伝えると、
「やりたければやってみれば良いじゃん!頭で色々難しく考えるよりも体で動いてみて、
それで決めたら良いよ」「私は小学校の先生になったけど、合わなくて辞めたけどね」
なんて言ってくれる友人もいて、
「なるほど」
なんて思った自分もいたりした。
長くなってしまっていますが・・・
フェアトレードに関わったことも教師を目指そうと思った理由のひとつ。
貧困な社会を一歩踏み込んで見つめてみた事で、
一人の人が『教育』を受けられることによって生まれる可能性の広がりを知った。
貧困な人はものが食べられなくて成長期に脳が発達しなかったり、
食べられたとしても学校に行けないと字が読めなかったり。
学校を出ていないと、安定した収入のある職業に就けなかったり・・・。
安定した収入を得られない大人がこどもをつくって、
また同じサイクルが繰り返される・・・。
だから、貧困な人は何代も貧困が続くケースがほとんど。
例えばこのサイクルの中の一人が学校に行けたとする。
そして将来安定した収入を得られたとする。
そうするとその家族が養われ、
そのこどもが学校に行け、
こどももまた将来収入を得られやすくなり・・・
学を得て地元に戻ってきたこどもたちは地域に知恵や収入や仕事をもたらし・・・
家族・・・地域・・・そして国が豊かになる。
だから一人が教育を受けられるっていうことはとても意味があって
その人自身だけでなく、地域や国の可能性を広げることになる。
当たり前のことかもしれないけど、
受けられて当たり前の日本の教育の中にいたら、
今までの私はそれを実感できずにいた。
でもフェアトレードに関わることでそれを感じた私は
「やっぱ教育に関わりたいなー。」(フェアトレードにも教育の側面はあったけど。)
「どんな方法で関わろうかなー。」(塾とか、幼児教育とか・・・いろいろあるなぁ。)
「受験戦争には加担したくないなぁ。」(中学や高校はテストや受験勉強がつきもの。)
「おしつけるような教育はしたくない。自分たちで学んで、勝手に花開いていってくれるような・・・それを見守ったり支えたり、きっかけを与えたりするようなことがしたいなぁ。」(公教育じゃいろんな枠組みが邪魔をして摩擦が起きて苦労しそう・・・)
と、ぼんやり考えているうちに
あることに気がつきまして・・・!
「体育は受験と関係ない!!!♪」
「机と椅子でじっとしていなくていい教科!」
「まさに心と体を育てる教科だ!」(私がやりたいことが一番伝えやすい教科じゃないか!)
「しかもフィットネスクラブとか、貧困とか環境とか・・・過去の経験全て活かせるし!」
そして少し勉強をしてみると
「私が理想とする教育の方向へ教育界も動いていっているようだ」(なんか偉そうに聞こえますが・・・)
ということもわかった。
同時に、ゆっくりと日々を過ごす中で、
世の中で一番大きくて根深くて難しいとされている貧困問題、どうすれば減るかなーって考えていた。
結局、かなり大まかにいうと、奪い合いや独り占めや異人種の排他(資源や食料、土地などの奪い合いや一部の国による(先進国)による利益の搾取、宗教・民族争い)などが格差を生み、貧困を生み出している。
奪い合いや独り占めや仲間はずれ。まるでこどものけんかと同じような理由で、
政治や国という大きな規模になってやりあっている。
でもその「こどものけんか」には私も絡んでいて、関係していない人は誰一人いなくて、
無意識の内だとしても、誰もがどこかで影響を与えあっている・・・。悲しい現実だけど、そのことをいろんな人に自覚して欲しい。
そして、「こどものけんか」を減らすには、辞めさせるには「思いやりと協力」じゃないかなって思った。
まずは一人ひとりがその精神を持って国民として存在すること。そうすれば、まずは小規模な「こどものけんか」からでも減らしていけば、大規模な「こどものけんか」も減っていくのではないかな。
それを動かしているのも一人の人だし。その人を動かすのも一人ひとりの人だし。
ということで、「思いやりと協力する心を伝えたい」という気持ちの中には、貧困を減らして世の中を平和にしたいという思いもあります。
一応、ブログのタイトルもあんな感じなんで、いつも関係ないこと書いているようですが、
私の中ではどこかで繋がっているつもりで書いているものが多いです。
そうでないのもありますが。
まあ、親や教師をしている仲間の話を聞く限りでは、
どんなに理想を振りかざしても、日常の忙しさに忙殺されてしまうんだろうな・・・
という感覚もぬぐいきれませんが、理想や信念は、もしも直接形には出来なくても、
何気ないところで染み出てきたりするものなんじゃないかなぁと私は思っているので、
とりあえず隠し持っていようと思います(笑)
頭でっかち過ぎても苦労すると思うのであまり理想を振りかざさずに・・・
なんて器用なことが私に出来ればいいんですけどね![]()
取らぬ狸の皮算用にならないようにしなくてはと思いつつ・・・
”試験勉強”ご無沙汰してる私の脳みそは、連日約10時間の勉強に
完全にショートしている最中でございまして、ただいま集中力を失い中・・・。
最初は思ったよりも集中できて、基本興味のある内容だから「学ぶって楽しい♪」
「このペースで行けば!」なんて思ってましたがσ(^_^;)脳みそと体が予想以上についていかず・・・
1、2ヶ月で採用試験に受かろうとしたら端から暗記していくしかない!と気合を入れたのですが、
一般教養(中高の全教科)+教職教養(法律や学習指導要領)+専門教養(スポーツの指導方法や特殊性など)
が、中々一気に頭に入りません・・・。空き容量はいっぱいあるはずなんだけどな(笑)
でもまぁそれも当たり前か!と思いながら息抜き交えつつやっております。
息抜きしてたら間に合わないんですが・・・
すっかり夜型になって集中できない&眠れない私のブログでした!









