頭の声って本当に自分次第なのね、の話。 | 怖がりな私が実験中

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今、私が習慣化に向けて勤しんでいること↓

まず、『体感覚が下がったガーン』を自覚したら

『頭の声を自覚するキョロキョロ

からの

『頭の声は幻。だからスルー指差し

もしくは、

『頭の声は幻。だからスルー。

 が、今はできないんじゃぃ!!!!!のときは

 ならば、体感覚の悪い渦中をただ感じる真顔

もしくは、

『体感覚の悪い渦中をただ感じる、はイヤよぉ!

 ならば、わたしゃ何を言ってんだ?

 何を信じているんだ?を眺める不安

を意識すること。

体感覚発進だから、分かりやすい。


なかでも、

体感覚の悪い渦中をただ感じる。は

結構私にはいい。

諦めて、あぁ体感覚わるっ。ってギブすると、

それ自体で少し体感覚が良くなったりする。

不思議なものだ。

体感覚を良くしなきゃっ!をやったり、

なぜだ?なぜだ???をやったりすると、

なかなか長引く。ような感覚だ。



さて。

はるラボで、はるかさんが言っていた。

「自分で選べない、という状況だと人は絶望する」

(→みたいなニュアンス)。

それをきいて、

あぁ本当だぁ。と過去のことを思い出す。


●思い出し その1

私は大学入学と共に実家を離れた。

その後、就職し結婚し、

家を買い、子どもが生まれ、

今も実家から車で2時間半ほどの位置で暮らしている


ただ。

大学に入るときも、

就職するときも、就職後も、

母からは、折に触れ

私に実家へ帰ってきてほしいことを(近くで暮らしてほしい)、

いろいろな言い方で、雰囲気?で、

伝えられてきた。


私は、休みになるとなるべく実家に行ったり、

実家から何となく許容範囲?と思われるような

距離感の土地に暮らすようにしたり

(結果的にだんだん遠くなってしまったけど)

しながらも、

ずっとずっと、

実家のある土地に帰らないことに罪悪感を持っていた。


その結果、

子どもが生まれて暫くした後に仕事を辞めた期間、

地域の活動や地域の人達と仲良くなる機会が

増えていったときに、

もっと積極的に関わりたい自分と、

それを抑える自分がうまれた。

積極的に関わろうとするとダメなことをしているような罪悪感が湧いたのだ。

そういえば、

こんなこと始めたなんて、母に言えないな

なんてことも思っていたかも。

(別に言わなければいいだけなのに💦)


実家へ遊びに帰省しているときも、

「誰々ちゃんが実家の近くに戻ったらしいよ」

「誰々さんのお孫さんが〇〇とかするらしいよ」

とか言われると、ギューっとなっていた。

だから、そのような会話になりそうなときは

警戒したり、その場を離れたり、

落ち着こうとしたり。。。

これ、めっっちゃ体感悪かったってことだ。


ある日。

突然思った。

「あ。私、ここ(私の家)で暮らそう。

 実家に帰らなくてもいい。」

そしたら、周りの状況は何も変わってないのに

ぱあって軽くなった。

頭の声があっという間に静かになった。


もちろん母の願いはあるし、

それを感じることはある。


でも、

よし、私はこっちを選ぼう。って思ったら、

その前と比べて体感覚は雲泥の差だった。


あぁ。頭の声は、ひたすら私が私に言っていたんだなと何となく納得できた出来事だったと、

振り返って思い出す。


●思い出し その2

少し短めに知らんぷり

夫は家族で遊びに出かけるのに積極的ではない。

息子を連れてここに行こ!と誘っても、

断られるか、嫌々オーラ満載でついてくるかの

どちらかが多かった。

そこに、やるせなさと悲しさと、

悲劇的な感情と、怒りと、戸惑いとなど

色んな感情に飲み込まれ、

息子と出かけたいけど、夫のことを考えると憂鬱ってことが続いていた。

でも、ある日。思った。

「別に、夫が一緒じゃなくてもいいんじゃない?

 よし。家族みんな一緒ってのにこだわるのを

 やめよう」

と、こう書けば、至極当たり前のことだけど^^;、

その時、決めた。

そしたら、

パッヽ(゚∀゚)ノ パッ☆と楽になった。

そう。

家族一緒に行動できないなんてどうなの?

そんなんで子供かわいそう。

夫も無理してるかもよ。

とかとか、いろんなことで頭の声が責めてたのだ。

どっちも選べるけど、

私は子どもと出かけたいから、そう決めよ♪と。


体感覚を意識していたら

もっと早かったかな。


体感覚からの頭の声を聞きながれ。

分かりやすいニコニコ