母親になってから、今まで知らなかったいろいろな学びに繋がってこれた。
本当に新鮮で、楽しく、数珠つなぎで知りたいことが繋がっていった。
その中で、大きな一つ。
”イヤを感じていい””イヤは自分の中の大切なサイン”という考え方。
最初、本当にいいの!!??
(やったぁ
!これならできそう)
って驚き、感動した。
その後も、体感覚を指針にすることを学ぶ。
本当に、私の中に
”これこれぇ~!”っていうものや
”イヤだぁー!””やりたくない。。。”
ってものが確かに私のものとしてあることを感じた。
これはすごい!と嬉しかったし、今も嬉しい。
そこで、”イヤだ”は感じていい。大切。と理解してきた。
そして、それは息子の子育てに対して、
”息子がイヤだと感じることを、ちゃんと大切にできる”親になりたい””
ってのがあったし、
また、、正直言うと、、
”私は(母さんとは違って)息子のイヤをちゃんと認められる親になる!!”
”ちゃんとイヤと感じることを大切にしてやるんだ!!!そんな親になるんだ!”
と思っていたことに最近気づいた。
”イヤ”は大切にしていいって分かっているはずなのに、なんか苦しい。
窮屈。。
そう感じていたことにやっと気づいた。
その理由かな、と思う気付きをメモしておく。
①まず子育てについて。
息子のイヤを大切にしたい思いと並行して
私は母やそこらの常識的な人たちと違って、ここを大切にできる親なんだ!!
みたいな。
息子のイヤに対して私が何かザワザワしたら、私の問題としてとらえられるんだぞ。
すごいだろ!!
みたいな。なんか、すんごく、これができる私を認めろー
!!
あなたとは違うんだー
!!
と、”イヤを大切にする”ってことを武器に使って、握りしめていた。
だから。
息子のイヤを認めてあげられずにザワザワしたりする自分を
しっかりしろー!!って責めていたと思う。
②イヤを感じていい。を本当はできていなかった。
いろいろな学びを通してイヤを大切にすることを学んだと言った。
今振り返ると、「イヤを大切にしても本当にいいの?」
「イヤをイヤだと感じていいんだよね???」
なぜなら・・のそこの正解をすごく集めていたように感じる。
で、実際にイヤを扱うとき、
「だって、イヤを感じるのはこんなにすごいことなんだぞ!」
「こんなに大事なことなんだぞ!!」「それを分かっている私!!」
みたいに使っているように感じる(もちろん、全部じゃないけど)。
今回気づいた。
私の中には、やらなければいけないこと、やるべきことに対して、
イヤだぁー!!こんなことやりたくないー!!って5歳児のように思っている私がいて、
でもね、そのことを、
5歳児のように思っていることを、すごく恥ずかしく思っていた。
「5歳児のように思っている私がいるね」と言われたときに
とっさに感じたのが、
恥ずかしい。。そんなこと言わないで。まずい、まだ私はそんなか。
とかとかとかとか。
これ、、わたし、イヤだぁー!!!!を全く認めていないよね。と。
そんな私がいることをなだめたり、言い聞かせたり、隠したり
そっちに瞬間的に移っていた。
まずやることは。
「イヤだぁー!!やりたくないー!!」がでたら
「イヤなんだねぇ。やりたくないんだねぇ」
だということを。今更だけど![]()
イヤだと感じたことは、それ以上でもそれ以下でもない。かぁ。
そのあと、実際に例えばやるべきとされていることをやるかやらないか?
やるならどうやってやるか?
は、自分で決めていっていいってことか。
なんか、イヤだを押さえつけない。
まずは基本中の基本。本当に、そこからだな、と改めて思った。