ケガをさせた場合も謝らせないのか?
→「謝らせない」と考えるのは過ちである。
もちろん、形だけ謝らなければならないときもある。
たとえば、意図していないものの、相手にぶつかってケガをさせてしまった場合で考える。
子どもは、意図していないことを主張しがちである。
しかし、この考えは「自分のことしか頭にない」、とも言える。
このトラブルで、一番困ったのは、ケガした相手である。その困った気持ちを一先ず落ち着けてもらうために、謝りが先に出る場合もある。
もちろん、ケガをさせたという事実確認は先にするが。
周りの人とうまくやっていくための考え方、とも言えるだろう。
トラブル指導の視点として押さえておきたい。
子どものトラブルは、事実確認が先決であるということ。
それをやってしまった子、やられてしまった子相互を確認した上で、お互いの想いを聞き合うのである。
だからこそ、たとえ暴力をふるってしまった子とやられてしまった子がいても、相互理解をさせる&集団の輪の中に戻すための方策を探る、という視点は外せない。
トラブルをきっかけとして自己理解、他者理解を図りつつ、行動に見通しをもてる子を育みたいのがねらいだからである。
謝りは促すものではなく、自然と申し訳なさが立つような指導を進めていきたい。
→謝りが自然に出たということは、子ども同士の相互理解が進んだということにもなるのではないだろうか。
そんな視点をもちつつ、子どものトラブルに向き合い続ける教師を追求していきたい。
それをやってしまった子、やられてしまった子相互を確認した上で、お互いの想いを聞き合うのである。
だからこそ、たとえ暴力をふるってしまった子とやられてしまった子がいても、相互理解をさせる&集団の輪の中に戻すための方策を探る、という視点は外せない。
トラブルをきっかけとして自己理解、他者理解を図りつつ、行動に見通しをもてる子を育みたいのがねらいだからである。
謝りは促すものではなく、自然と申し訳なさが立つような指導を進めていきたい。
→謝りが自然に出たということは、子ども同士の相互理解が進んだということにもなるのではないだろうか。
そんな視点をもちつつ、子どものトラブルに向き合い続ける教師を追求していきたい。
大学で実地指導講師を務めました。相手は三年生90名。
自分が学んでいる「生活指導」という言葉を出さずに、指導の本質を語りたいと思ったけど、、、難しかったです…。
ただ、今の学生が教員になり、若手なりの悩みと向き合いながら、教師を続けていくために、
この時期に自分が大学という場所で、失敗をもとに経験を語らせてもらうこと自体に意味があると思いました。
今の学生は、附属小学校での実習や大学の実地指導で、附属小学校の先生方と出会う機会は多いようです。だからこそ、うまくいく話しか聞いていないという、偏った価値観が形成されているとも言えます。
それゆえに、うまくいかない場面を少しでも知ってしまうと、「怖い」「自信がない」などと、自分が右往左往してしまう姿を想像してしまうようです。
だからこそ、その違和感を大切にしてほしいし、実は実践はうまくいかないだらけの失敗から学ぶことの方が多いことを知ってほしくなりました。
つまり、学生はうまくいかなければならない、形どおりの教師になる「べき」と縛られてがち。
どのような思考や体験から、形どおりの教師になってしまうのか、そのメカニズムや学校生活・環境・状況を失敗談に乗せて伝えること、これこそが最も学校で自分らしく、かつ子どもを大切にしようという意識の芽生えに不可欠なのではないかと気づくことができました。
自分が学んでいる「生活指導」という言葉を出さずに、指導の本質を語りたいと思ったけど、、、難しかったです…。
ただ、今の学生が教員になり、若手なりの悩みと向き合いながら、教師を続けていくために、
この時期に自分が大学という場所で、失敗をもとに経験を語らせてもらうこと自体に意味があると思いました。
今の学生は、附属小学校での実習や大学の実地指導で、附属小学校の先生方と出会う機会は多いようです。だからこそ、うまくいく話しか聞いていないという、偏った価値観が形成されているとも言えます。
それゆえに、うまくいかない場面を少しでも知ってしまうと、「怖い」「自信がない」などと、自分が右往左往してしまう姿を想像してしまうようです。
だからこそ、その違和感を大切にしてほしいし、実は実践はうまくいかないだらけの失敗から学ぶことの方が多いことを知ってほしくなりました。
つまり、学生はうまくいかなければならない、形どおりの教師になる「べき」と縛られてがち。
どのような思考や体験から、形どおりの教師になってしまうのか、そのメカニズムや学校生活・環境・状況を失敗談に乗せて伝えること、これこそが最も学校で自分らしく、かつ子どもを大切にしようという意識の芽生えに不可欠なのではないかと気づくことができました。