小さな学級から大きな社会へ ~ 三間シュンの教育実践の源
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同僚から、無神経って言われた…。
そう平気で言えるあなたの方が無神経でしょ、と即座に思えなかった自分に腹が立つ。


ガラスのハート。
子どもが万引きや暴力行為をしてしまったとする。

原因は子ども自身の心の弱さだと考え、指導する大人もいるだろう。

しかし、根本に見つめたいのは、子どもがそのような子どもに育ってしまった背景だ。
子どもはどのようにして、そのような好ましくない行為をはたらくようになってしまったのか、知ろうとすること。
それは、決して甘やかしではなく、子どもの生活の歴史を受け入れ、共に未来をつくり出そうとする覚悟である。


子どもに罪はない。この言葉をいつも胸に刻んで、子どもに接し続けていきたい。
廊下は走らない!
→と言いつつ、廊下を走る子どもの姿をビデオで撮る人権侵害は許される。

保健室には行ってはいけません!
→と言いながら、学校・学級から苦しんでいる子どもの居場所を奪っている。

時間を守りなさい!
→と言うも、10分の休み時間のうち、最後の1~2分は着席、黙想のために権利としての休みを奪う。

あの子とあの子は仲良しだけど、学級を荒らすからクラスを分けた
→そこにしか居場所はなかったのではないか、教師自身が、荒れた子どもの心の内を読みとって、人間関係を広げる活動を組織したのか?

お母さん、無理にでも学校に来させてください。来てしまえば、あとは学校が何とかします。
→と言いつつ、不登校の子どもを放り出させる。母親と子どもを引き剥がす役になった教師の立場はどうでもよい、という考え。
→1年そこら学校に行かなくたって、その子が本気で好きになれること、夢中になれること、学習を取り戻したいと切に思えば、どうにだってなるのに…



結局、学校は誰のためにあるのだろうか…