義母の葬儀を終えました。

2007年に義父、
2020年に実父、
そして2024年に義母を見送ることになりました。
享年88歳。

経験値なのか50を前にした年齢なのかわからないけど、葬儀が少しだけ特別なものではなくなりました。桜井識子さんの本を読んでおいたせいかもしれません。


 

 



 

 


3月にはいってダンナに異動の内辞が出た時に、「義母はもう長くないかもしれない」と思いました。そして「ダンナは間に合わなかったんだな」、とも。





私はいい嫁、かわいい嫁ではなかった。
もっと仲良くしなければ、歩みよらねばという気持ちと、
ダンナ本人も含めて距離を置きたい気持ちとがいつもせめぎあっていて、宙ぶらりんな関係になってしまっていた。

天真爛漫で可愛らしい、おしゃべりが大好きな、とても頭のよい人だった。ダンナはいつも義母にうんざりしていたけれど、私自身は本当にそう感じていただろうか?・・・本当に?
「ダンナ」を通してしか、義母を見ていなかったのではないか。…たぶん、そう。失礼なことをしてきてしまった。

寝たきりになり、おしゃべりが大好きなのに言葉が出なくなり、長くつらい日々だっただろう。不自由な肉体から解放されたことはよかったと思う。
甥っ子に生まれたひ孫の写真は、目を見開いてずっと見ていた…と義姉から聞いた時は心が和んだ。
義姉夫婦とはずいぶんご無沙汰したにもかかわらず、私にはずっとニコニコと笑顔でいてくれた。
ダンナとは年が離れていてもう還暦を過ぎた義姉は、以前よりも義母に似てきた。
まるで初めてお会いした頃の義母のようで、そして義母も私に変わらず笑いかけてくれているようで泣けてしまった。

義姉は、義母の唇に自分の口紅で紅を差してあげていた。「きれいになったわ」と、フフッと笑った。
本当に可愛らしくキレイになった義母と義姉…その「母娘」のやりとりの愛情の深さに涙が出た。紅を差す…そんななんてことないことさえも、ただの嫁である私には遠い遠い優しさで、その状況に甘んじていた自分がひどく恥ずかしかった。

それでも、どんなに後悔してみても、またどこかのタイミングに戻れてやり直せるとしても、ドラマチックなハッピーエンドとはいかずに結局はまた、同じようなことになってしまうのだろう…とも思う。
そして、そんな自分を「仕方ない」と受け入れられるようにもなってきた。

人は、この世を去るときに大きな学びを遺していってくれる。

次は四十九日。もてる愛情をこめて供養していこうと思う。